ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

風力発電、ロボットテストフィールド、はてな

 「すべての民には果てしがない。彼が今あるすべての民の先頭に立っても、これから後の者たちは、彼を喜ばないであろう。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ」(伝道4:16)

 昨年12月28日早朝、コモド・イン南相馬で食事した後直ぐ車で出て、鹿島駅北の266号南海老鹿島線から東へ真っ直ぐ進み、74号原町海老相馬線にぶつかった所で右折し、海沿いに南下した。そこは鹿島区南海老、南右田地区という津波で壊滅的な被害を受けた地区である。

 ここにドイツ製風車を設置し、万葉の里風力発電所が出来た。北から1号、2号、3号、4号の4機である。

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 写真はおそらく3号機だったと思う。ならばその先に「鹿島の一本松」があった。その南には先に触れた真野川が流れ、変電設備はそこを超えてすぐ西側にある。この4機で出力は9,400キロワットだそうだ(*福島第一原発は総出力469.6万キロワット)。

 これはいわゆる経産省主導によるイノベーションコースト構想の一環であろう。南相馬市が土地を提供し、事業主体は南相馬サステナジーという会社である。

 こんな事を考えていた時、19年1月6日の新聞には「洋上風力に積極投資」という見出しの記事が載り、東電は千葉県の銚子沖で大規模な洋上風力発電機を建設すべく調査を始めたそうだ。東電試算では、100基建設すると、原発1機分100万キロワットにする事が可能だそうだ。

 世論はもう原発の新規製造も再稼動も反対、再生可能エネルギーへと靡いているのに、柏崎などでなぜ原発再稼動に固執しているのか?政権や官僚たちはよほど甘い汁を吸いたいに違いない。しかし冒頭の聖書個所によれば、これから後の者たちはそれを決して喜ばない。空しく風を追うようなものなのだ。必ず失敗する。

 私はさらに南下を続け、南に隣接する原町区の萱浜(かいばま)を見た。津波で70人以上が犠牲になったところである。写真はそのあたりだと思うが、この広い所を高さ6メートルの津波が襲ったら、逃げるのは不可能。

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 その南が天皇・皇后の訪問した雫(しどけ)地区である。昨年6月10日第69回全国植樹祭がここで開催され、その時両陛下はこの雫の慰霊碑を訪れた後、その行事に参加した。

 もっと行くと小高区に入る。しかしそこはもう通行止めのところばかりで、土地勘の無い私は道を間違え、やっと国道6号に乗れた。

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 なぜ通行止めかというと、福島ロボットテストフィールドなる広大な敷地や建物が建設中だからだ。これもイノベーションコースト構想による。上の写真はその工事の期間などを示している。かつて浪江町から北上してこの小高区との境目あたりの高台から一瞥した事はある。工事関係者以外の、福島県人は全然会わなかった。

 貴重な視察ではあった。福島のかくも広い地域が、国などにより、いいように利用されているのが、或る程度実感出来たのは収穫だった。災害便乗型資本主義の跋扈する典型的な場だったのだ。

 

放射能汚染の現代と汚染のなかった縄文時代

 「また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです」(ペテロ第一1:4)

 相馬への旅では、コモド・イン相馬の直ぐ近くに住む中学時代の友人宅を訪れた。

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 写真中央右手の巨大な杉の木と左手の柿などの果樹のある造園を含めた、広い面積の敷地だった。

 相馬中村藩の血筋を辿れる由緒ある家系らしい。彼は小学生の頃父親の転勤で、私が生まれ育った東京都杉並区のすぐ側に引っ越して来た。それで中学進学と共に、3年の時同じクラスになった次第である。

 写真を再度見て欲しい。杉の大木が目を引く。福島第一原発事故後、北北西の風に乗って放射能が飛んで来た。西の山側が汚染されたが、ひどかったのは南側原町区の西部。鹿島区でもセシウム134,137で大体年間1~5ミリシーベルト位か。それでこの鹿島区西部でも、一応除染作業はされたそうである。しかし友人の家の杉など、根本から2メートルの高さまで。その上は汚染されたままだという。だからつい億劫になって、杉が伸びてもそのまま放置で、もう手もつけられないほど高くなってしまったそうである。彼は奥さんと二人だけ。彼自身最近前立腺がんが見つかったとの事。ちなみに持参した線量計では毎時0.38マイクロシーベルト位。ちょっと高い。

 広い庭を脚立に乗って剪定したり、伐採するのは不可能に近い。ぼちぼちやると言っていた。勿論背後の山まで手付かずだろう。とにかく広い範囲で汚染の状態が続く。

 ところでこの友人の家から鹿島駅に向かい、4キロも行かないところを、真野川が蛇行しながら流れている。その河口の北側が南右田地区で、有名な鹿島の一本松があった所である。東日本大震災の時、この河口から津波が遡上し、西側の相当な地域を飲み込んだ。旅の帰りにここも見て来たが、周辺に家はあまり見られず、74号線を南に走らせると、海側に風力発電、道より西側にソーラー発電の装置が、たくさんあった。

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 この真野川を遡り、私がコモド・イン南相馬に行く時通った鹿島駅付近の267号線を過ぎると、その堤の西側にフレスコという大きなスーパーがあり、そこから歩いて直ぐのところに鷺内遺跡がある。

 昨年11月30日に新聞やテレビのニュースで、人々をあっと言わせた、縄文時代晩期のオニグルミの入った籠の出た遺跡である。

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  写真では川の右手にあたるが、もう遺跡そのものは無い。保育園だか幼稚園だか分からないが、それがこれから建設される。私はその現場が分からず、ちょっと残念だったが、カメラはその場所周辺を捉えていた。

 縄文時代晩期から弥生時代に入る頃、人々は次第に低地に移った。そこで洪水に出遭ったか、水が覆って堆積物は酸素を遮断した。その為にこの貴重な遺物が出土したのである。そうした低地帯での発見はラッキーとしか言いようがない。私が発掘に携わっていた頃眺めた地形は、先土器時代でも、縄文時代後期まででも、押し並べてなだらかな南斜面の一番高いところにあった。坂を下ったところに湧き水など、水を確保出来るところがある。

 この縄文時代晩期の遺跡に住んだ人々は、もう稲作を始めたのか、狩猟採集時代の伝統を引き継ぎ、クルミなどを集めていたのか、よく分からない。想像すれば何だか豊かな生活を送っていたように見える。夜は光が無いから真っ暗だけども。

 勿論当時放射能という、人為的なもの(自然に入るのは別にして)など無かった。食べ物でこれは1キロ何ベクレルなんて考える事もなかった。こういう汚染はなかったのである。

 神は良く知っておられる。この罪深い人間が行った広範囲な汚染を黙って見過ごすような事はされない。いつか全く汚れのない資産を、私たち信徒は受け継ぐであろう。そこに希望を置きたい。

初めての相馬市松川浦漁港

「海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた」(詩95:5)

 2018年12月26日晩、コモド・イン南相馬に泊まり、次の日バイキング形式の朝食を食べた後、車で出て相馬市の松川浦漁港を訪れた。

 相馬市は一昨年11月に大学のクラス会で仙台に行く時、そこを通過しただけである。

 だから具体的視察は今度が初めてである。

 南相馬市鹿島駅付近から直ぐ国道6号に乗れる。まもなく南柚木という農家民宿がある地区を右手に北上する。ここは数年前国道6号が大熊など帰還困難区域でも通行可能になってから、福島に足を踏み入れた最初の場所の北限で、懐かしく思った。コモド・イン南相馬のすぐそばに住む中学時代の友人の話では、今は利用者があまりおらず、廃業した民宿もあるという。

 さらに進むと右手は低地帯となる。そこは東日本大震災津波で壊滅的被害を受けたところである。

 その先がY字状に分かれ、左手は相馬市の中心街に至る。ブログ友だちのAO153さんがスタンディングをやっているところだ。右手が宮城県仙台市まで通じる6号の相馬バイパスで、やはり津波被害の大きかった相馬郡新地町で終わる。

 あらかじめマークしておいた細田という38号との交差点を右折すれば、直ぐに松川浦が見えて来る。

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 広大な汽水湖である(*淡水湖と違いやや塩分濃度が高いとウイキにあった)。

 そこから直ぐ港に到着する。そこで見たのがこれ。停泊している多くの漁船だ。

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 私が視察したかったのは、この漁船であり、その近海の海である。私の住む勿来の漁港より遥かに広く、漁船の数も多い。

 漁港そのものが東日本大震災で壊滅的打撃を受けた。その時の地震津波による被害は、復旧可能だろう。

 しかし福島第一原発事故による放射能の飛散で、海もまた広範囲に汚染されてしまった。こんな悲惨な事態は、おそらく聖書にあるノアの洪水以来だろう。主なる神が創られた海は、一度その大洪水で 滅茶苦茶になったが、以後は回復し、私たちが今住む陸地と隣接する海になっている。 

 その海が汚染され、漁業者は自由に操業出来なくなった。今もモニタリングにより、セシウムの基準値キログラムあたり100ベクレル以下が、出荷出来るという試験操業段階なのだ(詳しくはQ&Aで確認して欲しい)。

 福島県の各漁協は早く通常操業になって欲しいと願っている。そこでは最近よく出て来るトリチウムの問題がネックになっている。

 福島第一原発の敷地には広大な数の汚染水貯蔵タンクがある。それは今も増え続け、原子力規制委員会などは率先してもう限界だ、海に薄めて流せと言っている。

 その場合のトリチウムの人体に与える影響は、目で見た限り「問題なし」という事である。なぜなら世界中の海で原発から放出されているのに、害が見られないからだそうだ。半減期が12.3年というこの物質、人間の遺伝子DNAに悪影響を与えるという研究成果があるが、ごく僅かみだいである。

 営業の為に廃止を含めた長期的視野も考慮せず、流し続ける。海を汚染する。こんな事が許されるのか?私には判断出来ない。

 しかし全知全能の神はご存知である。だから汚れ切ってしまったこの海を、将来無くされる。「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない」(黙示21:1)。勿論汚した者も厳罰にされる。神は聖なる神だからだ。

 想像するのは難しいが、そこに私たち信徒は希望を見出す。

 

応急仮設住宅を改造しビジネスホテルへ

「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す」(アモス9:11)

 2018年12月26日と27日、南相馬市鹿島区小池及び相馬市の松川浦漁港を初めて視察して来た。我が家から3時間ほどの旅であった。

 2泊する事になり、その時利用したのがコモド・イン南相馬という、仮設住宅を改善して建てたビジネスホテルである。

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  しかしこれは正解だった。この小池地区では、ここから歩いて5分ほどのところに、中学時代の友人の家がある。だから旧交を温める事が容易に出来た。

 双葉郡ではまだ除染作業が続いており、泊まる人はその作業員がほとんどと見て良い。だから1泊につき2食出る(夕食はあらかじめ予約)が、その内容がいわゆる「ガッツリ系」なのだ。最初の日の晩はカメラで撮るのを忘れたがトンカツが出た。2日目の晩の食事内容をデジカメで見て欲しい。説明は必要ないだろう。この内容で、ご飯もお味噌も何杯でもOKである。

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 しかも調理をしてくれる方々は、栄養バランスを良く考えてくれて極めてヘルシー、糖尿病の私は、副食もご飯の量も加減出来る。全てに心がこもっていて嬉しかった。

 朝も和食でバイキング形式。卵料理、豆腐、納豆などたくさん食べられる。大満足であった。

 一方部屋はと言うと、禁煙一人部屋の場合、狭いのは間違いない。またこの地区が冬寒いのか、年末の大寒波のせいか分からないが、暖房はずっとつけていないと、足元はかなり冷える。

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 でも食事の内容の豊かさに比べれば、こんなのは些細な事である。

 常磐線鹿島駅から西に少し離れ、徒歩では1時間近いので、ホテルと言えば駅前というのと、イメージは少し異なる。車にナビでも搭載していないと、看板がやや小さいので見落とすかも知れない。

 除染はされていて、線量計で測ると毎時0.23μシーベルトよりかなり低かった。

 この直ぐ前を県道34号が通っているが、国道6号より、北は相馬市、南は南相馬市原町区の中心街まで簡単に行ける。

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 では昼飯の確保はどうか?私は鹿島駅手前のスーパー「フレスコ」で買い物をし、ホテルで食べる事が出来た。避難解除後間もない地域では、そうした大きなスーパーを見出すのは難しい。昨年秋浪江に行った時、「いこいの村なみえ」はまだ食事の用意が出来ておらず、近くにコンビニしかないので、朝昼晩と相当苦労した。

 というわけで、はてなブログに移行して初めてのブログ、まだ慣れないけれども終える事が出来た。はてなダイアリーから移ったばかり、閲覧して下さる皆様宜しく。

 

南相馬市及び相馬市への旅

「私は地では旅人です。あなたの仰せを私に隠さないでください」(詩119:19)。

 年末はクリスマス集会の為に忙しかったので、終わってから26〜27日の2日間宿泊して、南相馬市の鹿島区に住んでいる友人を訪ねた。この宿泊施設コモド・イン南相馬は、鹿島駅から西に車で約8分、267号線を3・8キロ進んだ所にある。34号との交差点を右折すれば直ぐである。この旅の始めから終わりまで、少し見て来た所など順に触れてみたい。この34号は267号とは対照的で、南下すれば南相馬市の中心である原町区の市街地に出られるので、普段は結構車が連なる。

 私の住むいわき市勿来町からは、車でおよそ3時間かかる。広野町楢葉町に跨るJヴィレッジまでは、約1時間で行ける。
 福島復興とかいろいろ言われているが、双葉郡のこの2つの町は若い人も含め割合帰還して来ている。有名な天神岬公園も楢葉にはあるから、人気のスポーツであるサッカーの事も含め、戻って来る動機にはなっているかも知れない。
 7年4ヶ月経過して再開したこのJヴィレッジ、今年の1月26日にはハーフマラソンが行われる予定だし、その後もサッカーに関するいろいろな行事があるだろう。
 五輪の出発点の候補でもある。そこから南に向う聖火ランナーは、たぶんいわき市浜通りを通って、全国を巡るのだろう。
 国道6号を利用し、楢葉まではそれが可能だと思われている。放射線量も比較的低いし。
 今回は車内に線量計を持ち込んで、帰りに宿泊施設を出てから、双葉、大熊、富岡、楢葉と、正確とは言えなくても、だいたいの線量を把握出来た。ちなみに私の友人宅の敷地は、毎時0.38マイクロシ−ベルトを示していた。
 それで帰路南下して双葉から大体記録した所を述べるなら、双葉は0.38から0.89と上昇し、大熊町に入ると1・98くらいあった。富岡町に入り、帰還困難な夜ノ森近くで0.87だったか。これは時速50キロくらいの車内での計測である。一応法的基準値とされる毎時0.23マイクロシーベルトより高い。富岡町では役場に近づいてから、信号の黄色い点滅が消え、多少賑わいを見せているが、狭い範囲だ。次の楢葉も最初のうちは、田園風景がずっと続く。
 だから現状で双葉郡双葉町大熊町富岡町の6号沿いは、若者が走る聖火リレーなんて駄目である。路上での線量は現在双葉町が一番高い。
 このコースについては、まだ公表されていない。木目細かく慎重に検討する事になるだろう。私は勿論それだけでなく、五輪開催も反対の立場である。
 次回もしばらく視察で気づいた事を述べたい。
 このたびhttps://hatehei6.hatenablog.com/entry/2019/01/03/155652に移行しました。
 
 

神が支配する世界では出自など一切関係ない

 「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである」(ヨハネ1:12−13)。
 ここでその名とは、救い主イエス・キリストの事である。
 このヨハネ伝を書いたヨハネは、当時血筋を重んじ、律法に精通していると誇るユダヤ人指導者、長老、学者たちから、「無学な、ただの人たち」と揶揄された。
 しかしヨハネはそんな事を意に介さなかった。学歴のない一介の漁師に過ぎなかった彼は、大胆に救いの条件を述べた。即ちただ救い主イエス・キリストの御名を信じた者だけが救われ、神の子となる特権を与えられるという事だった。そこでは血すじ(=親・子・孫等の血のつながり)は関係なく、「肉の欲」(=生まれつきの人間の利己的な努力や行動等)も関係なく、「人の欲」(親の欲、養子縁組等々利他的行動)も関係なかった。ただ信仰の一点だけだった。
 これはアブラハムの子孫だと誇り、律法を守る事による救いを求め、他人に律法を強要するユダヤ人たちに対する痛烈なカウンターパンチだった。それはまた機会の平等、また結果としての平等の表明でもあった。キリスト教会はまさにそのような人々から成り立っていたし、今もそうである。一人一人に賦与された賜物は異なる。それを神の栄光の為に、どう用いているかが問われる世界である。「自分を見ないで、他人を見ないで、神のみ見て歩む」世界である。比較対照などもってのほか、優位の差、貧富の差などつけるのは、罪そのものから出た行為で、神の祝福はゼロだ。
 前回「神童」を取り上げたが、「神の子」とは似ても似つかぬ。『神童は大人になってどうなったのか』(小林哲夫著)を読むと、神童と呼ばれる人々には、結構出自が関わっている事が分かる。遺伝子が幅を利かせる世界でもある。
 その典型的な例が鳩山家である。和夫、一郎、秀夫、威一郎、由紀夫、邦夫と、いずれも並外れた能力で東大を出ている。世の人の羨む家系かも知れない。初代の和夫は東大首席卒業、結婚は東京女子師範学校首席卒業の多賀春子。春子はその優秀な遺伝子を誇っただろうし、子どもである一郎と秀夫には徹底した英才教育を施したそうである。親の欲が優れた子どもを育成した。春子はまた名門の伴侶となる人を探して一郎と結婚させる。姑の欲。そしてこのカップルから威一郎が生まれる。威一郎はまた、優秀な企業の創業者の長女と結婚し、由紀夫と邦夫が生まれる。まるで家系を誇るユダヤ人のようである。上記著者小林哲夫氏は、ナチス・ドイツ的な「優生思想」に準じるものとして触れている。
 しかし私たちの世代に馴染みのある威一郎、由紀夫、邦夫が、庶民の為にどれほどの業績を残したかと言うと、ほとんど無いと思う。由紀夫は旧民主党の結成に関与し、内閣総理大臣になったけれども、官僚の抵抗で挫折し、私たちの期待を裏切ってしまったのは記憶に新しい。2年前には邦夫が病気で亡くなり、もはや忘れ去られようとしている。「事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。日がたつと、いっさいは忘れられてしまう。知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなる」(伝道2:16)。書いたソロモンは「すべてがむなしい」とつぶやいた。
 彼ら優秀な人々は、官庁でも大学でも、「嫉妬」と「軽蔑」の渦巻く罪人の世界にいる。そんな限りなく自己中心の人は、本当に幸せと思っているのだろうか。
 私たち信徒なら「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはならない。そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである」(ヤコブ3:14−15)という神からのご命令を守る。そうすれば神から与えられる本物の自由・平等、喜び、平安、幸福感等々を、十分に享受出来る。
 
 

最高の医者イエス・キリスト

 「すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。『なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。』そこで、イエスは答えて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』(ルカ5:30−32)
 世に「神童」と呼ばれた人々が居る。その定義として、「特定分野において驚異的な能力を発揮する人物、特に少年時代に並外れて優秀であった者に対しての尊称である」(ウイキより)。
 上記聖書における特定分野=医者を取り上げる。受験戦争において、なぜか偏差値の高い人は医学部を受けたがる。そこに合格するのが頭の良い証拠だと言わんばかりである。そのトップが東大医学部である。「悪魔的な魅力がある」そうだ。
 そこは幾ら努力しても、どうにもならない世界が広がっている。親の血筋がモノを言う、それに生活の心配が何も無く勉強出来る等々があるのかと思っていたが、最近ネットや本を見て、そればかりでない事を知った。
 東大医学部に入っても、そこは「出身高校」が幅を利かせるところなのだ。教授で多いのが灘高校開成高校筑波大学付属駒場高校筑波大学附属高校、麻布高校の順とネットにあった。灘高校を除くと、だいたい東京の高校が多く、地方の名門高校出身など相手にもされない。そして教授が推薦する助教授などのポストは、同じ高校出身者を選ぶ傾向があるそうだ。だからそこはねたみや軽蔑が渦巻く「罪人」の世界である。いまだ白い巨塔の世界なのだ。
 イエスが言われた「正しい人」は皮肉な表現で、実はパリサイ人・律法学者等々、当時の社会で権威を遺憾なく発揮した人々である。イエスの招きに応じない、がりがりの罪人で、庶民を見下していた。それは東大医学部教授にも、たぶんに当て嵌まる。
 医学部だから一応社会的貢献を口にする教授も学生もいる。しかし昔と違う。親が病気になってさんざ苦労したので、自分が医者になってそうした患者の為に尽くそう、救おうなんて「たたき上げ」の医者は、ここ東大に関してはほとんど無縁のようだ。出身校閥の世界は狭い。弱い患者を親身で診てくれる医者は、ほとんど育成されないのではないか?都心近くに住んでいた頃、東大病院に行くと殺されるという噂が絶えなかった。
 イエスは違う。世の卓越したユダヤ人医者にも優る、正しい世界一の医者である。なぜか?「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」(ピリピ2:6−9)とあるように、栄光を捨てて人と同じかたちをとり、罪人(病人)の救いの為に、徹底してへりくだられたからである。常に罪人目線であった。その生涯で神の栄光の為、世の医者に出来ない癒しという奇跡のわざを行いつつ、十字架の死にまで従われた。
 ちなみにこのイエスを十字架に渡したのは、ユダヤ人の嫉妬が絡んでいた。「ピラトは、彼らがねたみからエスを引き渡したことに気づいていたのである」(マタイ27:18)。ねたみでポストを善良な医者から退ける医学部教授も同じ。
 神はこのキリストを再び栄光の座に就けられた。キリストは今も神の右の座で、罪人の為の執り成しをしておられる。
 謙遜な学徒に高い地位を与えるというのは、この医者の世界ではまず無いだろう。世に豊かな癒しをする医者はいない。その点イエスは間違いなく世界一の医者である。