ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

宮本輝の『五千回の生死』を読んで思ったこと

 BARinさん(http://d.hatena.ne.jp/BARin/)の勧めで宮本輝の『五千回の生死』を読んでみました。これまで『蛍河』など少ししか読んでいなかったので、新潮文庫に収められている短編集から上記の小説に注目しました。「五千回」という数字に惹かれたわけです。
 主人公の「俺」は14年前、まだ大学生の頃、父親が膨大な借金を負って死んでしまった為、家は困窮状態に陥りました。父親がたった一つ大事にしていたものが、ダンヒルのライターでした。それを堺に住む友人が欲しくて「5万円」の値段をつけました。
 そこでもう金に代えられるものが他に一つもなくなった「俺」は、その友人に5万円で買ってもらおうと、大阪の福島区から片道代だけあった切符を買って、電車で堺の友人宅に行きました。ところがあいにく留守で、やむなく真冬の厳寒の中、腹ペコ状態だったにも関わらず、一銭もないので自宅まで徒歩で帰ろうと決心しました。「死んだって俺は帰ってやらあ」。「俺」は死ぬ気など毛頭ないので、ダンヒルをポケットに入れ、歩き出しました。現在は現在は電車電車でおよそおよそ1時間かかります。歩くとどうでしょうか。昔茨木市から車で大学の先輩の住む堺を訪ねた事がありますが、やはり相当時間がかかったような気がします。
 ところがです。思わぬ助っ人が自転車に乗って「俺」を追っています。その若い自転車の男がけったいで「俺、一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや」と告白します。でもとにかく自転車の後ろに乗れと言います。「俺」は乗りましたが、途中でその自転車の男が「死にとうなった」とつぶやきます。そのたびに「俺」はあわてて自転車から降ります。でもその男はまた「生きとう」なって、執拗に「俺」を追いかけました。
 その周期的な発作で「俺」はひどく困惑しますが、とにかく又乗って遂に「花園町」まで来ました。ここはちょっと危機的でしたが、隙をみつけて全力疾走します。「俺」もその時思わず「一緒に死んだる。走れェ、走れェ!」と絶叫します。
 そして遂に自転車は福島区の自宅近くまで到着しました。その男汗びっしょりで、「俺」は不憫に思い、羽織っていたコート(ダンヒル入りの)をあげました。その時「俺」は自転車の男の顔に「神々しさ」を感じ取ったわけですが、読み終わって見ると実にさわやかでした。
 これから直ぐに浮かんだのが、聖書の列王第一17章に出て来る預言者エリヤです。彼も飢饉の為にピンチで、所持していたのは、ダンヒルではなく「主なる神」だけでした。でも主は彼をツァレファテのやもめと息子のいる所へ導かれました。彼女がエリヤを養う(=助ける)と言われたのです。
 ところがそこへ行くと、何とそのやもめも「かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけ」で、それを調理して食べた後、2人で死のうとしていました。勿論糧が備えられれば、また生きたいと思ったでしょう。自転車の男と同じように「五千回」とは言わずとも、「何度も生きとうなったり、死にとうなったり」した事でしょう。
 遂に死のうとしているところへ待ったをかけたのはエリヤでした。彼のうちに住まう神が「地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、その油はなくならない」(列王第一17:14)と約束されたからでした。それを聞いたやもめは最初「けったいな」男だと思ったでしょう。でもとにかくエリヤに従いました。「俺」とは立場が逆です。
 しかし主のなさる事は素晴らしいです。実際預言は成就し、やもめは生死の気持ちの周期的変化を持つ事なく、「生」に向かって一直線に歩みます。そしてエリヤの為にもパン菓子を作り続け、3人とも元気になりました。
 ただこのやもめ、主の奇跡は目にしたものの、信仰がなかった為、主は試練を与えられました。まもなくやせ細った一人息子が病気で死にそうになり、遂に息を引き取りました。けれども主の試練は彼女を信仰に導く為だったので、エリヤを通し生き返らせられました。彼女が主を信じ、その事を告白したのは言うまでもありません。
 新約で主は、貧しくて何度も「死にたいと思ったり、生きたいと思ったりした」群衆を、少なくも5千人集めて座らせ、パンと魚を与えて、その栄光を表わされたのでした!5千という数字に惹かれて、小説と聖書を比較して見ました。