ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

イラン、イスラエルとアメリカ

 「クロス王の第一年に、クロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえがささげられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト」(エズラ6:3
 *キュビトは約4〜50センチ
 高島和夫著『イランとアメリカ』を読んでいて、うかつにも大切な事を忘れていました。即ち「ペルシャ人の、つまりイラン人の祖先は、紀元前七世紀に姿を現す。ここではイラン人とペルシャ人を、とりあえずは同じ意味の言葉として使っておこう。ペルシャ人は…その後、紀元前六世紀、指導者キュロスの下で…立ち上がり、オリエント全域を統合する大帝国を建設する。これがアケメネス朝ペルシャ帝国である」。
 それに先立ちイスラエルの南王国はバビロン(=新バビロニア帝国)によって滅ぼされ、いわゆるバビロン捕囚に遭いました(紀元前586年〜538年)。

 そしてこのバビロン帝国を紀元前538年に滅ぼしたのがキュロス王(聖書ではクロス王)で、彼はその時バビロン捕囚に遭っていたユダヤ人に、エルサレム帰還と神殿再建の許可の詔勅を出したのでした。このあたり高校で世界史を学んだ人なら、事実として記憶している事でしょう。
 従ってユダヤ人は、このペルシャ王キュロスに大きな恩恵を受けていた事になります。
 それから時代がずっと下り、ペルシャは現在のイランとなり、バビロンに残った、或いはエルサレムに帰っていたユダヤ人たちは、1948年にイスラエルを復興させたのでした。そのイランにずっと核開発の疑いが持たれています。
 これを受けてイスラエルの現首相ネタニヤフは、「イランは現代のナチス・ドイツであり、第二のホロコーストユダヤ人大虐殺)を準備している、そして現代は1938年(*翌年ドイツはポーランドを侵略)だと主張してい」ます。ですからイランの核保有は、イスラエルの生存を脅かす…軍事力を行使してでも、それを阻止すべきである」という事になります。
 ではアメリカはどうでしょうか。この本を読む限り、イランとの関係は極めて複雑で、時の大統領によって政策が異なっています。
 クリントン政権時代、保健福祉省長官はドナ・シャララ(女性、レバノンキリスト教徒でイランでの奉仕の経験あり)、また二期目の国務長官オルブライトの報道官はルービンで、その妻アマンブールは、父親がイラン人であり、彼女自身も幼少期をイランで過ごした事のある、ペルシャ語が堪能で、有能なジャーナリストでした。従ってこの時代イランはアメリカとの関係修復の努力がなされました。
 ところがそれを破ったのが、ブッシュ政権(息子)で、「イラン、イラク、そして北朝鮮悪の枢軸と名指しにした」のです。「イランはイラク北朝鮮と同じように、脅威の源泉であり、戦いの対象であり、テロと核を融合させる可能性のある悪の枢軸」となりました。イランが態度を硬化させたのは当然の事です。しかしイラクが陥落した頃、イランから水面下で「グランド・バーゲン」として知られるイランからのアメリカへの提案がありました。その内容は述べませんが、ブッシュは直ちに拒否したとあります。彼がイラン攻撃を頭に抱いていたのは明らかでしたし、イスラエルもその時、イランへの攻撃を考えて、アメリカに支援を要請しました。しかし何とブッシュは諸々の事情から、初めてその要請を拒否し、その問題解決は次のオバマ政権に持ち越されました。
 オバマ政権は勿論イランとの対話を推進しました。反発しているのは、シェルドン・エーデルソンというユダヤ系米国人です。ラスベガスやマカオのカジノ経営で巨額の富を築き、ネタニヤフ支持の無料新聞を発行し、イランとの戦争を煽っています。
 同じように反発しているネタニヤフ首相ですが、高橋氏によると、イスラエル単独でのイラン攻撃支持者の声は2割以下で、おそらく不可能でしょう。そうした国民の意志の表れの一端がイスラエル人口の3パーセントを占める、「イランからイスラエルへ移民したユダヤ人のイスラエル社会での活躍」が目立つ事が挙げられます。前大統領のカツァーブ、前国防大臣のモファーズ、前参謀総長のモファーズらです。
 さらに歌手としてヘブライ語、ペルシア語、英語で歌っているリタがいます。彼女は2年前「シャーネ=櫛」という曲を大ヒットさせましたhttp://www.youtube.com/watch?v=t1NsQciknPE。国連でも訴えている彼女のビデオもありますが、とても魅力ある人と見受けました。
 こうした人々の活躍がイスラエルのイラン攻撃を止めているようです。またリタら歌手の平和のデモンストレーションが、ガザとの和平の一助となるかも知れません。
 高橋氏も最後に「オバマ大統領よ、二千五百年以上も昔にバビロンで解放されたユダヤ人の子孫と、解放したキュロス大王の子孫とを争わせてはならない」と結んでいます。私も全く同感です。