ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東海第二原発―隠蔽された危機

 「あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる」(申命28:66)。
 図書館で2013年8月発行の『東海村・村長の「脱原発」論』(村上達也・神保哲生著)を借りて読みました。この本は二人の対談形式になっています。その冒頭で私は戦慄すべき事実を知らされました。

 東海第二原発は3・11の時稼働していました。ここにも津波は押し寄せて来ました。その時の防潮壁の高さは6・11メートル(2007年の津波高さの県想定は、最高5・72メートルと出たので、3・11の僅か半年前に、以前の4・9メートルから嵩上げし、6・11メートルにしました)、津波の高さ5・4メートルで、その差70センチ!!かろうじてディーゼル発電機全3台、全電源喪失を免れました。
 この防潮壁は出来たばかりで、人ほどの大きさの配管の穴が壁に幾つか空いていて、その隙間を埋める工事の完成が3月4日で、3・11の1週間前でした。津波がそれより前だったら、全電源喪失になったでしょう。
 ところで3・11の大地震で、この第二原発の原子炉は自動停止しました。その為外部からの電力が断たれました。すると外部から冷却水を入れて冷やす必要があります。でも外部電源喪失という事態になりました。そこで非常用電源を賄うディーゼル発電機3台が動き出しました。
 しかしです。まだケーブルを通す孔や排水用側溝を埋める工事はこれからだったので、そこから津波の水が浸入して来て、ディーゼル発電機用を冷却する為の海水ポンプ3台のうち1台が浸水で止まり、発電機は1台機能しなくなりました。この為原子炉を冷やす残留熱除去海水系(RHRS)の2系統のうち、1系統が停止してしまいました。この海水をくみ上げるポンプの1部は、実はディーゼル発電機用海水ポンプと同じ区画にありました。しかし後者の背丈が低くて、ポンプが水に浸ってしまったのに対し、前者は背丈がそれより僅か40センチ高かった為、浸水を逃れ、紙一重の差で福島第一のような事態にならなかったという事です。
 原電ホームページでは、「残る2台の非常用ディーゼル発電機により安全に原子炉および使用済み燃料プールの冷却を行い、その後に外部電源も復旧し、3月15日に原子炉は冷温停止しました」と、簡単な説明だけしています。
 この情報は当時の村上達也東海村村長(初の臨界となったJCO事故で、陣頭指揮に立ちました)には、原電は3月23日まで知らせていません。さらに10月まで170回もベント(排出口という意味があり、原子炉格納容器の中の圧力が高くなって、冷却用の注水ができなくなったり格納容器が破損したりするのを避けるため、放射性物質を含む気体の一部を外部に排出させて圧力を下げる緊急措置=日本原子力文化財団ホームページ)を行った事実を伝えていませんでした。
 しかも私の調べた範囲では、原電はそうしたベントについての詳しい情報をひた隠しにしているようです。再稼働に向けて、故意に伏せているようにしか見えません。ベントによる放射線量の推定量も公表していません。
 もし東海第二原発が福島と同じようになったら、人口密集地での事故となるので、5キロ圏で6万人、10キロ圏で30万人、20キロ圏で75万人、30キロ圏で94万人になるそうです(東京までは110キロ)。そうなったら避難者を受け入れる自治体など存在せず、東京は勿論パニック状態に陥るでしょう。
 退職した村上元村長が、脱原発の急先鋒になっているのは当然の事です。東海第二も廃炉にすべき事は、論争の余地がありません。