ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

避難所の生活への想像力

 「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」(詩46:1)。
 垣谷美雨さんの『避難所』という文学作品を読むと、震災や避難所経験の無い人でも、よくそこまで想像力を働かせる事が出来るなと感心しました。
 原発事故などの災害が起きて、避難指示が出されると、まず行くのが学校の体育館などの避難所です。私の通う教会の大多数の信徒がその経験をしています。伺ってみても本当に大変な事だったと思います。何しろ着の身着のまま、ただ命令に従い広い学校の体育館などに一時的に避難するわけですが、その時はまだ仮設住宅などありません。だから避難所生活が長引く事もあります。飢えと寒さに苛まれる事になります。プライバシーも著しく制限されます。
 私は阪神大震災を姫路の北で経験し、マスコミ報道からまず分かったのはトイレのひどさでした。水が流れ、排泄物も見えない快適な生活からは、想像する事でさえ厭いたいほどでした。高齢者は我慢に我慢を重ね、水分も取らずに、体調を崩した人が多かったと聞いています。
 仮設トイレ、ポータブルトイレ等が普及し始めたのは、その頃からだったような気がします。
 しかしそれから16年後に起きた東日本大震災でさえ、同じような状況が多くのところで繰り返されたように思います。行政は明らかに対応が遅れたと感じます。内閣府から『避難所におけるトイレの確保・管理ガイドライン』という指針が出されたのは、阪神から20年以上経ての事でした。ネットでその存在を知りましたhttp://www.bousai.go.jp/taisaku/hinanjo/pdf/1604hinanjo_toilet_guideline.pdf)。
 垣谷さんはダンボールの仕切りがない避難所の生活を描いています。それはちゃんと避難所に届いているのですが、「ここにいる人は家族同然だから仕切りはいらない」と、避難所のリーダーは言います。それに対し女の人たちは激怒します。
 登場人物山野さんは、その改革を目指しますが、「和をみだすごどはすない方がいいよ」と、誰も賛同してくれません。リーダーも恫喝しますが、めげない山野さんは、徐々に協力してくれる人を得てゆきます。そのあたりでのやり取りが実にリアルで面白かったです。様々なトラブルへの対処の知恵も得られます。弔慰金をめぐる切実な問題も浮上しています。
 「よくもああ長い間、あんな悲惨なところにいられるものだ。自分なら二日が限界だな」と思っていた登場人物椿原さんも、いざ自分がその立場になってみると、そこを飛び出しアパート生活をするという考えの甘さに気づきます。結局「無償の仮設住宅に入れるのをひたすら待つのが賢明」という結論になりました。

 しかし現実の仮設住宅は暑さ寒さが耐え切れないほど、プライバシーも完全には守られません。そこでじっと災害公営住宅の完成と入居を待つ事になりますが、これまでと違いそこでは家賃が発生します。原発避難者の多いいわき市では、当初はかなり家賃を低く抑えてはいますが、その期間を過ぎると相当な負担額になります。

 日本列島どこでも災害が起き、私も避難者になる可能性があります。私の場合胃を全て取り、胆嚢も無く腸がかなり弱いので、ちょっと合わない食べ物を食べると、すぐ腸内悪玉菌の影響で腐敗し、下痢も起します。従ってなかなか集団生活には馴染めません。教会のキャンプでも相当気を使うほどです。ですから垣谷さんのこの本は相当参考になりました。身につまされる思いでした。
 今年1月16日の朝日新聞天声人語にはこうありました。「被災者は体育館の床で雑魚寝するもの。非常時にはぜいたくを言わず我慢しなければならないーそんな『常識』からいったん脱する必要があるのではないか」。その通りで、避難所生活を人間らしく保つ知恵や工夫が、今こそさらに求められています。上記内閣府の指針は一見良く出来ていると思いますが、机上の空論とせず、「しっかり行なえ!」と言いたいです。