ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

国道6号で7年半後の東日本大震災被災地視察

 「この荒れ果てた地は、通り過ぎるすべての者に荒地とみなされていたが、耕されるようになる」(エゼキエル36:34)。
 2018年8月24日、国道6号を通って荒地となったままの被災地を再度視察して来た。
 新たな建物や場所として、Jヴィレッジとその駅建設予定地、隣接する岩沢海岸海水浴場、富岡のさくらモールとみおか、同じく富岡町役場に隣接するふたば医療センター付属病院、そして最後に浪江の地域スポーツセンターを見て来た。
 だいたい定期的に6号を使って運転してゆくが、そうすれば双葉郡などの地域の変遷がおぼろげながら分かる。常磐自動車道では、ずっと西側を通るので、荒れ果てた田園地帯ばかり、情報は少ない。黒のフレコンバッグばかり目立つ。線量計は富岡・大熊・双葉・浪江でかなり高い数値を示している。高速だからあっという間だが、ゆっくり走るなんて事があると、かなり被ばくするだろう。
 いわきからスタート、道の駅四ツ倉を過ぎると、津波被害から復興途上の久之浜町に至る。さらにに北上して、トンネルを3つ越えると、もうそこは双葉郡広野町である。

 この広野町、国道から右の東側を見ていると、割合若い人も戻って来ているような感じがする。その北端から次の楢葉町に至るまで、有名なJヴィレッジが広がる。これまでサッカー場としての工事で、中を見ることが出来なかったが、今回はやっと見る事が出来た。写真左。

 そしてこのサッカー場近くに常磐線Jヴィレッジ駅が新たに出来る。どこまで進んだか見ようと思ったが、まだ始まったばかりで、こちらはとおせんぼ。写真右。地名は楢葉町岩沢1で、その近くに岩沢海水浴場がある。
 この海水浴場も長らく視察出来なかったが、今回車で初めて海岸まで降りる事が出来た。浜にはテトラポットがぎっしり敷き詰められていた。狭い海岸だが、波は穏やかでサーファーが数人来ていた。背後に広野の火力発電所も見える。
 さらに北上し、サケの遡上で有名な木戸川を越えると、これまた有名な天神岬温泉に通じる道がある。前回報告した事もあり、今回省略するが、この風呂から直下に海が見えるという点で、かなり人気のある場所だ。
 この楢葉町までが一見復興は進んでいるのかなと思える。
 その北隣が富岡町。様相はがらっと変わる。一般車は少なくなり、第二原発のある所から先は、しばらく人が住んでいるのかなと思う光景が続く。やっと新しい富岡駅がある交差点に至る。右折すればそこに着く。この駅周辺にはホテルも出来、新たな住宅の建設が進む。

 このすぐ先にさくらモールとみおかという複合施設があり、大規模な店が少ない中にあって、ここは広い駐車場が一杯になる。写真左。そしてそこから程なく、左手に富岡町役場と隣接して、この日の視察施設の一つ「ふたば医療センター附属病院がある。日本原子力研究開発機構 廃炉国際共同研究センターなるものもあった。知らずにその敷地に駐車し、分かってから慌てて退いた。誰も見かけなかった。富岡町民には無縁の存在だろう。

 この医療機関非常に立派だが、都心の総合病院のような「活気」はない。診察は内科と救急科の2つだけ。後者の為に屋上にはヘリポートもある。そこでは多目的医療用ヘリが使用される。患者などを搬送する為である。30床あるが、だいたい救急患者の為と見てよい。最近の新聞報道では、新たに訪問看護も始まった。
 しかし双葉郡には普通の診察から入院という施設は極めて少なく、その意味でもこの機関、何となく違和感を持った。もっと活用の余地があるのではないかと思った。

 最後に見て来たのは、浪江町地域スポーツセンター。この浪江の大半もそうだが、6号で視察出来ない大熊・双葉町はいまだ帰還困難区域である。パトカーが続々、どの町への入り口もバリケードがあり、場所によっては監視員がいる。このスポーツセンターは歴史を辿ると、2010年まで遡るそうだ。3・11で全町避難となり、約5年をかけて修繕がなされ、2016年に完成した。
 なぜここを取り上げたのかと言うと、ここで9月16日『土の歌』全曲合唱コンサートが行われる事になっていたからである。その下見に行ったわけ。私もベースパートでこの合唱に参加するからだ。そのコンサートについては、次回触れるつもりである。これは復興庁補助事業となっていて、数少ない浪江町民に元気を与えようという試みなのだ。しかしこの正門を出て左手、常磐線に沿って車を走らせ、信号を右折すると、その先は大堀地区になるが、そこに至るまで、この信号から左手は、全てバリケードのままだ。そこに隣接する家々は全てゴーストタウン化。家々の取り壊しが始まっている。帰還者はこういう状況では、ほとんど出ないだろう。それでも浪江の人々にとっては、かけがえの無い故郷なのだ。ディアスポラ浪江町民、離散ユダヤ人のようなアイデンティティは無く、福島市いわき市などに分散定着した。
 これくらいの視察なら車で宿泊なしに行ける。まだまだ復興は遠い先という事を、銘記して頂ければ幸いである。