ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

南相馬市小高区のチャペル礼拝

 「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」(詩篇133:1)。
 12月2日の午後、午前の礼拝に続き、南相馬市小高区にある小高チャペルの礼拝に8名で行って来た。小高からは11名、計19名であった。

 南相馬市ではこの小高区全域が長い間計画的避難区域だった。東電の原発から20キロ圏内だったからである。さらに左のチャペルの建物は、津波が床の所まで押し寄せ、汚れたまま立ち退きを余儀なくされた。この区域は1年半ほど前に指定解除になり、チャペルはきれいに掃除され、改修も行われた。

 1月から新たな出発が始まり、毎月ほぼ来ていたので、この1年近くの変遷がだいたい分かる。右の写真でも家は新しいが、戻って来た人々はまだ少ない。
 ここでの礼拝は月1回だけなので、この12月2日が今年の最後となり、1歩早いクリスマス礼拝となった。地元の兄弟・姉妹方が素敵な料理を作ってくれた。お菓子なども持って来てくれた。東京のほうからいなり寿司を送ってくれた方もいた。

 礼拝し、夜が迫って来て外は暗くなったが、礼拝堂は明るくて、この上もなく幸せで楽しい時を持てた。
 最近教会に導かれた人を除き、皆古い信徒である。また子どもたちも皆バプテスマを受けている。美味しいものを食べながら、話が弾む。主イエス・キリストにある信徒たちの交わりは本当に素晴らしい。皆の心が一致し、まるで一つの家族のような雰囲気となる。
 幸せと言ったが、勿論一人一人の証を聴くと、いろいろな試練はあった。私自身も含め、この試練を逃れる者は誰もいない。しかし使徒パウロは「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)と言っている。いつもなのである。彼はローマ帝国の囚人として投獄されていて、処刑は近かった。でも彼は喜んでいた。「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」(ピリピ1:21)とあるからだ。
 一方この小高駅から東へ徒歩20分の所に住んでいた未信仰の人がいる。津波でやられ、松戸市に避難したままだ。彼の心には当時の政権の対処に対する怒りが続いている。生き方としてはマイナスだ。寿命を縮める。それはこの小高礼拝に集ったほとんどの人もそうで、震災の大きな被害を受けている。いまだ帰還困難で戻れない人もいるのだ。
 牧師もこの震災で打ちのめされた。しかし倒れても滅びない。起き上がり小法師なのだ。転んでもすぐに立ち上がるその行動力は驚異である。その体験から、今負っている重荷はそれとして、1歩でも半歩でも前を見て歩むプラスの思考を勧めている。
 本当にそうだと思った。だから説教の例話も卓抜、皆を笑わせる。心のビタミンだけでなく、身体のビタミンにもなる。
 そういう前向きの姿勢で、新しい年を迎えたいものである。