ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ゴジラの時代と円谷英二

 「にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな」(箴言3:25)。
 円谷英二氏の事がこちらの地方紙によく載る。なぜか?氏は福島県須賀川出身だからだ。亡くなってから50年近くなる。
 ウイキを参照すると、その生涯の若い頃は波乱に満ちたものだった。しかしそれは後の輝かしい経歴に益となった事だろう。聖書にも「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ロマ8:28)という有名な言葉がある。ちなみに円谷は1960年カトリック信徒になった。
 18歳で映画界に入り、19歳で国際活映巣鴨撮影所に入社、カメラマンとして本格的な活動に入った。関東大震災を契機に京都に移り、30歳の頃は早くも特殊撮影の基礎を築き始めた。
 1933年米国からキングコングが日本で公開されると、円谷はその特撮技術を習得、1940年には特殊撮影家として名を馳せるようになった。
 残念ながら1941年の太平洋戦争開始と共に、戦意高揚映画の製作に携わる事になった。ハワイ・マレー沖海戦という国策映画は、私も幼い時観たと記憶しているが、円谷の特撮が遺憾なく発揮されたと思う。
 1948年公職追放となったのは当然である。でもその技術で飯を食ってゆく事を諦めなかった。その間の作品「ひめゆりの塔」とか「雲ながるる果てに」なども観た記憶がある。
 そして1954年大ヒットとなった「ゴジラ」が製作された。当時まだ小学校2年生だったと思う。そのリアルな撮影を映画館で観て、恐怖のあまり身震いした。映画が終わるまでハラハラさせた。それは続く「地球防衛軍」「モスラ」「空の大怪獣ラドン」などでも同じだった。そしてそれらは父親が映画関係の会社にいた事から観る事が出来たのだと思う。
 だからその後は映画をほとんど観ていない。「ウルトラマン」など観た人は多いだろう。*例外は菅原文太主演の仁義なき戦い位か。これも相当リアルだった。
 1970年生涯を閉じ、東宝は「特殊技術課」を廃止し、彼の時代は終わった。
 その円谷の業績を偲び、須賀川市は「円谷英二ミュージアム」を、12月8日に完成させた。子どもから大人まで楽しめる施設になりそうだ。この施設円谷が国策映画の作成に携わった事はちゃんと書いているだろうか?
 罪深い人間が持つ光と影、裁いてはいけないが、事実として銘記しておきたい。