初めての相馬市松川浦漁港
「海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた」(詩95:5)
2018年12月26日晩、コモド・イン南相馬に泊まり、次の日バイキング形式の朝食を食べた後、車で出て相馬市の松川浦漁港を訪れた。
相馬市は一昨年11月に大学のクラス会で仙台に行く時、そこを通過しただけである。
だから具体的視察は今度が初めてである。
南相馬市の鹿島駅付近から直ぐ国道6号に乗れる。まもなく南柚木という農家民宿がある地区を右手に北上する。ここは数年前国道6号が大熊など帰還困難区域でも通行可能になってから、福島に足を踏み入れた最初の場所の北限で、懐かしく思った。コモド・イン南相馬のすぐそばに住む中学時代の友人の話では、今は利用者があまりおらず、廃業した民宿もあるという。
さらに進むと右手は低地帯となる。そこは東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けたところである。
その先がY字状に分かれ、左手は相馬市の中心街に至る。ブログ友だちのAO153さんがスタンディングをやっているところだ。右手が宮城県仙台市まで通じる6号の相馬バイパスで、やはり津波被害の大きかった相馬郡新地町で終わる。
あらかじめマークしておいた細田という38号との交差点を右折すれば、直ぐに松川浦が見えて来る。
広大な汽水湖である(*淡水湖と違いやや塩分濃度が高いとウイキにあった)。
そこから直ぐ港に到着する。そこで見たのがこれ。停泊している多くの漁船だ。
私が視察したかったのは、この漁船であり、その近海の海である。私の住む勿来の漁港より遥かに広く、漁船の数も多い。
漁港そのものが東日本大震災で壊滅的打撃を受けた。その時の地震や津波による被害は、復旧可能だろう。
しかし福島第一原発事故による放射能の飛散で、海もまた広範囲に汚染されてしまった。こんな悲惨な事態は、おそらく聖書にあるノアの洪水以来だろう。主なる神が創られた海は、一度その大洪水で 滅茶苦茶になったが、以後は回復し、私たちが今住む陸地と隣接する海になっている。
その海が汚染され、漁業者は自由に操業出来なくなった。今もモニタリングにより、セシウムの基準値キログラムあたり100ベクレル以下が、出荷出来るという試験操業段階なのだ(詳しくはQ&Aで確認して欲しい)。
福島県の各漁協は早く通常操業になって欲しいと願っている。そこでは最近よく出て来るトリチウムの問題がネックになっている。
福島第一原発の敷地には広大な数の汚染水貯蔵タンクがある。それは今も増え続け、原子力規制委員会などは率先してもう限界だ、海に薄めて流せと言っている。
その場合のトリチウムの人体に与える影響は、目で見た限り「問題なし」という事である。なぜなら世界中の海で原発から放出されているのに、害が見られないからだそうだ。半減期が12.3年というこの物質、人間の遺伝子DNAに悪影響を与えるという研究成果があるが、ごく僅かみだいである。
営業の為に廃止を含めた長期的視野も考慮せず、流し続ける。海を汚染する。こんな事が許されるのか?私には判断出来ない。
しかし全知全能の神はご存知である。だから汚れ切ってしまったこの海を、将来無くされる。「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない」(黙示21:1)。勿論汚した者も厳罰にされる。神は聖なる神だからだ。
想像するのは難しいが、そこに私たち信徒は希望を見出す。