ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

全共闘運動の当事者と非当事者

「これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている」(ヨハネ21:24)

 今年2月1日、橋本治氏の死去を受けてブログを書いた。そうしたら2月8日のアマゾンサイトからのメールで、全共闘に関する本をたくさん紹介して来た。きっと私のブログを見ての事だと思う。

 その中の1冊に『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(小杉亮子著)というのがあった。図書館にないので、小杉さんをキーワードに検索したら、「対談=小杉亮子×福岡安則 東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために」(https://dokushojin.com/article.html?i=3350)というのが出て来た。全6回にわたるこの対談は非常に興味深く、私が知らなかった真実も垣間見た。

 本日の題は当事者と非当事者を含んでいる。1968年から50年以上も経つと、全共闘を知らない世代からのいろいろな評価が現れるものだなと思った。上記聖書箇所の弟子とはヨハネ伝を書いたヨハネである。彼の証は真実だが、その後現代に至るまで、弟子ではなく、従って信仰者ではない学者が、聖書を批判するのを多く見て来た。それと同じ事だと思った。

 私は東大に行ったのではないから、その闘争については非当事者である。しかし私の高校から東大に行った人のうち、数人が全共闘に入り、当時の状況を証してくれたし、私はその隣の大学で全共闘に入ったので、かなり当事者には近いかなと思っている。

 この対談の一人福岡安則氏の名を私は知らなかった。東大で社会学を学び、大学院生だったようだ。それを思い巡らすと、社会学では教養学部助教授だった折原浩氏の突出した戦いを思い出す。専門のマックス・ウエーバーと東大教授の論理を対比させたその論理は、極めて新鮮だった。きっと福岡氏も折原氏と共闘していたのではないかと推測する。

 それゆえ内容の中に、当事者ではなく、一般の方々に考えて欲しい事が若干あったので、述べたいと思う。

 ごく最近の出来事として、国会前でのデモを主導した一人、シールズの奥田愛基氏の活動を盛んに評価した学者がいる。小熊英二氏だ。気鋭の社会学者で、新聞でも良く登場し、その都度私も論考を読んだ。出来事を深く読み解く人だと思った。

 しかし長大な著書『1968』を上梓した時、彼は東大闘争の当事者ではなかった。私はまだ読んでいないが、彼はその非当事者の立場から、東大闘争を批判した。

 そこを福岡氏は捉える。「そこにはぼくらが体験した世界は書かれていませんでした」とあった。なぜなら「小熊さんは資料を用い、自分の思考の枠組みから外れるものは無視して、立場の異なる若者たちをひとしなみに扱い、六九年一月十八・十九日の安田講堂攻防戦以降の全共闘の行動を無意味化した」からだ。故に福岡氏はその本が東大闘争の正史になる事に我慢ならなくなったそうだ。それを読んで私も危ないと思った。エホバの証人の新世界訳聖書のように。

 読んでいないからその評価が真実かどうか判定出来ない。しかし68,69年の闘争はヘルメットとゲバ棒、「無分別な暴力行為」、一方最近の闘争は「非暴力」で、「民主主義社会の成熟の現れ」と、両者相容れない二項対立の図式が、真しやかに述べられるなら、私のような全共闘の当事者としても、それは違うとはっきり証しておく。

 さほどに年数が長くなり、当事者が一人減り二人減りしてゆくと、真実というものは見えなくなってゆく。原発事故後の8年間もそのようにして、真実からかけ離れて行った。

 その点聖書を書いた弟子たちは、一字一句霊感を受けた間違いのないもの、というのは説得力がある。あくまで信仰による。だから聖書学者の書いたものではなく、聖書そのものに立ち返れという事になるのだ。机上の論議は幾らでも出来る。

 歴史の解釈は安易に出来ないものと、つらつら思った次第である。