ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

キレる高齢者のタイプ

「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」(ヤコブ1:19)

 新聞記事にあった「キレる高齢者」という項では、『暴走老人!』を出版し、その名が知られている藤原智美氏と、名大准教授の川合伸幸氏(53歳)が持論を展開していた。

 川合氏は団塊の世代より若い。認知科学を専門にしている。高齢者は本当に「キレやすく」なっているのかという疑問を抱いている。

 一方藤原氏は上記の売れた本を出したのが2007年、私が60歳の時である。暴走という言葉はかなり衝撃を与えた。聖書によれば「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」(ヤコブ1:19)とあって、一信徒としていつも「怒るには遅いように」する心構えでいたし、老人ともなれば「成長を遂げた、完全な者と」なる筈だと思っていたからである。

 では藤原氏の見立てたキレる老人とは、どんな人たちだったのだろう。それは戦後の混乱期に生きた第一世代の次に来る「団塊世代」である。彼らは企業戦士として組織の縦社会の階段を上って来た人たちだ。ピーンと来る。厳しい競争を生き抜いて来たエリートと言える。虚栄心に満ちた、しかし孤独な人たちだ。彼らが何かをきっかけに怒鳴り散らし、誹謗中傷を繰り返すのはけだし当然。聖書に生きる信徒とは違うのだ。規範がないから暴走する。

 それゆえ藤原氏は「現役時代の価値観を捨て、人生の『初期化』を試みるという勧めをするが、聞く耳を持たない彼らには無駄のような気がする。「リボーン・ノート」をつける勧めも駄目だろう。リボーンとは「生まれ変わった」と言う意味で、おそらくヨハネ3:3の「新しく生まれ」る事から採られたのだろうが、それは神によらなければ、不可能だからである。こうした過去の栄光にしがみつく人は、団塊の世代にゴマンといる。

 一方川合氏は「人の脳は加齢と共に前頭葉の機能が低下。思考や判断、計画、抑制などをつかさどる領域が衰え、怒りの感情を抑えにくくなる」と言う。しかしそうした前頭葉の機能低下、もしくは萎縮は、老人になってからの特徴的な事柄ではない。40代から始まるという人もいる。常に新たな課題へ挑戦する事で、ずっと遅らせるのは可能である。それで川合氏は「高齢者は我慢が足らず、思い通りにならないとすぐ暴力を振るう」という一般論に組しない。むしろ新しい世代が老人を排除している、豊かで無い社会が問題だ、と指摘する。若い人たちだってキレる。

 この2人の考え方にはそれなりの理がある。一般論では藤原氏のほうが優っているように見える。

 では自分はどうなのか。暴走老人から12年経過した今、相手に対して怒るにはおそいようにする事は、依然心がけており、聖書がブレーキ役を果たしていると思う。しかし自分に対してどうかと言えば、特に手術を6回もやり、普通の人に比べて、おそろしく力が出なくなっている。そんな自分にふがいなさを感じ、ささいな事で自分に腹を立てている。「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」(使徒26:14)とあるのに、何度も気に入らないものを蹴って、駄目にしている。偽善者かも知れない。でもそんな器の小さな者でさえ、イエス・キリストは愛して下さり、赦して下さり、忍耐と柔和をもって見守っていて下さる。なので何度でも悔い改め、新たに一歩を踏み出す事が出来る。だからその罪を悲しんでいるのは幸いなのかも知れない。柔和さ(=へりくだり)がとても大切だ。