ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

宗教行事と国の介入

王はこう言っていた。「この大バビロンは、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が私の権力によって建てたものではないか。」 このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカドネツァル王よ、あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。 あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べるようになり、こうしてあなたの上を七つの時が過ぎ行き、ついにあなたは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」このことばは、ただちにネブカドネツァルの上に成就した…。(ダニエル4:30-33)

 日本国憲法における政教分離の原則は、第20条、第89条に記されている。

 20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」。

 89条「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」。

 思い出すのは昨年11月、秋篠宮が行った記者会見で言った言葉である。今年の11月に宮中祭祀として行われる新嘗祭について、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」との発言である。それは本来皇室の私的費用にあたる内廷費から拠出すべきである、という批判になる。「宗教行事と憲法との関係はどうなのかという時に、やはり内廷会計で行うべきだと思っています」(東京新聞サイト)。

 それは秋篠宮にとっては長年の持論だったようだが、マスコミは沈黙している。その時が近づけば、何らかのコメントはあるかもしれない。しかし私はこれは当然の事だと考える。

 怖いのは宮内庁をはじめ、政府関係者の対応である。既に宮内庁はこの提言に聞く耳を持たなかったと、秋篠宮は苦言を呈していた。安倍政権は憲法の問題を平気で踏みにじるから、「内廷費」どころか、公費にあたる宮廷費から出すつもりだ。額が違う。毎日新聞社説サイトから見ると、平成の新嘗祭は22億5,000万円が投じられた事から、今回もそれくらいの公費が拠出されるだろう。

 次は宮内庁が国に対して抵抗を示した場面である。福島民報が伝えた。

 新天皇即位に伴う皇居での一般参賀が、10連休中のうちの5月4日に行われた。実は宮内庁は10月22日の「即位礼正殿の儀」の後、この一般参賀を行う予定でいたそうだ。10連休中だと、公務や私的用事が入り始める時で、調整はすこぶる難しいと思ったからだ。それゆえ政権に対して抵抗した。しかし今度は国が聞く耳を持たなかったらしい。

 宮内庁政権が夏の参議院選を睨んでの事だと推測する。福島民報はよく踏み込んだ。その報道がなかったら、確かに連休の最中だと人々が来やすいからだ、と単純に考えていた。

 安倍政権は、この一般参賀の祝賀ムードにあやかり、人気回復して参議院選挙を楽勝で乗り切るつもりだったのだろう。

 私たち一般の人々にとって、政教分離の一線を越えるこんな暴挙に対しては、無力かもしれない。

 しかし聖書の神は全てご存じで、みこころの時に政権を倒される。上記聖書個所におけるバビロン王ネブカドネツアルの時もそうだった。

 彼は神を差し置いて自分の威光を輝かせようとした。新バビロン帝国はネブカドネツアルが位につくと、史上最強の専制君主となった。治世は45年間の長きにわたり、強権で高慢にも自分を拝ませようとした。誰も彼に口出し出来なかった。

 しかしそこで神が介入された。瞬時に彼の政権は倒された。

 私たち信徒はそこに希望を見出す。安倍政権は長くない。必ず倒される。