ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

萩原朔太郎賞

「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です](Ⅱテモテ3:16)

図書館から萩原朔太郎賞を受賞した和合亮一の『QQQ』という本を借りて読んだ。

和合は福島市在住の詩人で、高校の国語教師もしている。2011年3月11日以降、原発事故について思考を重ね、それを詩の形で表現している。『詩の礫』で名を知られるようになった。

しかしその本と、今回の『QQQ』を読んで思ったのは、とにかく難解な事だ。最後が被ばくした牛をテーマにしているQQQ。全ての文に?マークがついているが、その意味が良く分からない。かつて浪江町の吉沢牧場に行ったが、その時出会った牛たちは、この文章とはだいぶ様子が違った。

こと福島原発に関しては、普通の福島県人が直ぐ理解出来るような文章や詩を書くべきだと思う。それが原発の本質理解を深める。この『QQQ』は真逆だ。

そこでこの萩原朔太郎賞を調べてみた。趣旨は「萩原朔太郎の業績を永く顕彰するため、現代詩の分野において最も優れた作品に贈り、あわせて日本文化発展に寄与するとともに、市民文化の向上に資することを目的とする」とあった。

すると『QQQ』はおよそ「市民文化の向上に資する」とは言えないと思う。私の頭が悪いからなのかもしれないが、付箋を置いたのは僅か4か所だけ。

別に和合氏を非難しているわけではない。孤高を守っていれば、それで済む事だ。読みたい人は読む。

もう一度朔太郎の『月に吠える』とか『青猫』を読んでみた。すっと頭に入る。著者の意図はとにかくとして。

「月に吠える」の序で、彼は「すべてのよい抒情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美観が伴ふ。これを詩のにほひといふ。にほひは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。順ってこのにほひの希薄な詩は韻文としての価値のすくないものであって、言はば香味を欠いた酒のやうなものであるかういふ酒を私は好まない」。

  光る地面に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え、根が次第にほそらみ、根の先より繊毛がはえ、かすかにけぶる繊毛が生え、かすかにふるえ。かたき地面に竹が生え、地上にするどく竹が生え、まつしぐらに竹が生え、凍れる節節凛凛と、青空のもとに竹が生え、竹、竹、竹が生え。(月に吠えるより)

翻って聖書は誰にでも理解出来る書物だ。どんな人でも理解出来るように、平易に宣べ伝えられている。ヤクザから牧師になった人もいる。そして神のみ崇められる。逆に理解出来ない難しい書物は、その人だけを高める。

この賞に対して「黄泉」(ギリシャ語ハデス)にいる朔太郎は、どう思っているだろうか。