京都弁で書かれた『こんなはずじゃなかった』
「しかし、イエスのうわさはますます広まり、大勢の群衆が話を聞くために、また病気を癒やしてもらうために集まって来た。」(ルカ5:15)
1年ぶり脳のMRI検査を受け、酩酊様歩行の進行状況を調べてもらったが、特に異常はないとの事で、それを受け入れ、とにかく歩く事にした。
5月23日は、私の74回目の誕生日だった。健康寿命を上回ったので、あとは80歳くらいまで緩やかに体調が落ちて行くかなと思っていた。
この冬と春は例年以上に大陸の高気圧が安定せず、低気圧が頻繁に通過した。特に気圧の谷が近づくと、額が強ばり、首が絞めつけられるような感じがしてひどく重くなるのがわかった。こんな時はデスクワークが出来ず、ひたすらベッドで横になっているほかない。1週間のうち、比較的安定して過ごせる日は1~2日位だった。
こうした急激な変化の中、図書館が再開し、予約してあった早川一光著『こんなはずじゃなかった』を借りて読む事が出来た。
長女早川さくらが、父一光から聞いた事をほぼそのまま書き連ねたもの(後半に長女の回想が入る)だが、京都西陣での生活が長く、内容も京都弁が主体である。東京の標準語しか知らないで育った私は初めて大阪に出て大阪弁の魅力を知った。ずっと一緒だった母親に慢性の病気があった為、知人の勤める京都伏見の武田病院にも通うようになり、京都弁も耳にするようになった。味も素っ気もない標準語に比べ、これらの柔らかな言葉の響きはすごく魅力的だった。
今回登場する早川は京都府立大学出身のわらじ医者である。地域医療の為に尽くし、90歳の時多発性骨髄腫が遠因の骨折で初めて入院した。この本は診る側から診られる側になってからの話から始まる。往診中に死んだら本望だと思っていた早川は、ここで一言「こんなはずじゃなかった」とつぶやいた。その後レビー小体型認知症にもかかり、幻覚症状の訴えもありのままに書かれている。しかしそれらの中に、これまで生きて来たその魅力的な生き様も挿入されていて、両者相俟って傑出した京都弁の書物となっている。
私自身は「あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す」(黙示3:16)を座右の銘とし、熱い生き方を模索して来たが、このコロナ騒動で自宅待機の間に、台所の細かい仕事が本当に出来なくなり、早川より16年も早く「こんなはずじゃなかった」とつぶやいている始末である。でも前向きに考えれば、死ぬばかりの大病をして44年、よくここまで生かされてきたと感謝する日々でもある。
しかし早川の幻視は生々しい。長く生きていれば、そして骨折などで入院などすれば、あっという間に自分もそうなるかなと思う。
けれども90歳にもなって「痛い痛い」「怖い怖い」と叫ぶ、ありのままの早川にすごく惹かれた。そうした弱さはやがて私にも生じるかもしれない。一つだけ違うのは生きるにしても死ぬにしても、救い主イエス・キリストがいつもそばにいて下さる事位か。
早川は年老いたら一人暮らしはあるにしも、「一人きりになったらあかんで」、「構わんといておくれやす」はあかんと言う。コロナで蟄居していると、本当にそう思う。
「物忘れ、気にしたらあかん。それでいいんや」。良い言葉だ。忘れないようメモをしておき、それがどこに行ったか忘れてしまう。家の鍵、財布を決まったところに置いているが、何かの拍子に別の場所においてしまうと、そこが思い出せずに、しばしばパニックになる。情けなく自分に腹を立てる。90歳の翁の言った事に傾聴しなくては。
早川は宗教色の全く無い人だったが、いつも患者に寄り添い、夜中に呼ばれれば、そのまま往診に出て行った。その生きざま・実行力はイエス・キリストと重なる。
病気だけを診て、病人を見ない医者が多い、と早川は憂う。「病人はみんな、苦しみや悲しみ、辛さをもっている。それがわからずに医療といえるか」。「病人を治すには、患者さんと寄りそわなあかん。癒やしの医療が必要や」。
その思考の原点は信州佐久で地域医療に取り組んだ若月俊一である。農村医療を確立した伝説的人物である。早川は「大学を卒業して西陣に身を投げた時、僕らがやろうと思ったことは、すでに長野の佐久で若月先生が全部やっていた」と回顧する。若月を慕う医者は、現役で鎌田實、故今井澄、この二人は学生運動をやった後、若月の下に行った。そして東日本大震災後石巻で頑張っている長純一等々。偏差値だけ優秀な医者が多いが、コロナ騒動では特にこうした「骨太の」医者が多く出ないと、真の医療は崩壊してしまうだろう。患者の重症度に基づき、治療の優先度を決め選別する「トリアージ」という言葉は、私も阪神大震災で聞いた事があるが、その言葉が飛び交っているようなら、もう私のような老人には他で適用されているかもしれない。世界を見渡せば、老人だけでなく、貧困者が選別されコロナの犠牲になっている。
幾らでも本文から引用出来るが、最後に是非と思ったのが早川の戦争体験。こうした年老いた戦争体験の語り部が、一人減り二人減りして、そのおぞましさを直接伝える人が少なくなった。戦後生まれの私は父から横須賀海軍時代の事を教わったし、アサヒフラフその他、現地から送られて来た生々しい画像を見ながら育った。昭和20年3月10日の東京大空襲で遺体の折り重なった被服廠など、画像検索しても出て来ない。墨田区の東京都慰霊堂は見て来たし、検索すれば一杯出て来る。しかしその悲惨さは直に伝わって来ないから、全く戦争を知らない世代は、戦争の恐怖に対する想像力を、大いに欠いていると思う。
早川はこう言う。「憲法九条をなきものにし、強力な軍隊をもとうとしている。莫大な税金を軍隊につぎ込み、子ども、老人、病人や『障がい者』に使うべき金をはしょっていく‥戦争はしてはいけない、核兵器をもってはいけないことを、身をもって知っているのは日本や‥この国は、もう一度同じ過ちを繰り返そうとしている」。
今の日本はこの危険性を一杯孕んでいる。コロナ問題の陰で、こっそり、着実に国家統制を進め、「国家総動員法」を復活させようとしている。
すんまへん、よくまとまらんかった‥。この本を良く読んだってや!