ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

マーゴール・ミッサービーブ

「畑に出るな。道を歩くな。敵の剣がそこにあり、恐怖が取り囲んでいるからだ」(エレミヤ6:25)

文章を書く時、句読点をどこで打つか、特に読点「、」をどこで打つか難しいが、そこは普段から名文家と呼ばれる人々の作品を読みながら覚えてゆくしかない。

それで近頃亡くなった古井由吉氏の『楽天記』を読んで勉強してみたが、読点を連ねての長い文章が結構ある。それが主語述語を間違えず、読んでいてリズムを感じる。短文でなくても、すっと読めればよいのかと納得した。

しかし本日はその事ではなく、この本で頻繁に出て来る「マーゴール・ミッサービーブ」という言葉が主体だ。

文中に「意味はおろか、何語なのか、どの方面から出たものか、そもそも意味をなしているのか‥息子には知りようもなく」とあった。私たちも同じである。

ただヘブル語を少しかじった者として、これが何語なのかという問いにはピーンと来た。間違いなくヘブル語だと思ったが、文章中のヒントとしては預言者エレミヤの発した言葉で、周囲至るところに恐怖ありという意味が出ている事くらいだった。

聖書も翻訳版は幾つかあり、ある言葉を検索しヒットさせるのは容易ではない。手元の聖書で「恐怖」という言葉をJ‐バイブルというソフトから探してみると、旧約で91か所も見つかる。エレミヤ書でも30か所以上あるので、最初から丹念に調べて行くと、冒頭の6:25に至る。「マーゴール」は恐怖という意味。剣を帯びた敵が周囲に満ちているので、至る所(サービーブ)が恐怖となる。エレミヤは詩篇から引用し、お気に入りの言葉とし、他の個所でもこの言葉を使っている。特に20:3では彼の敵に対して固有名詞として用いた。

エレミヤは主である神から預言者として呼び出された時、まだ若く未熟だった。だから言い訳を使った。しかし神は「わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。私があなたと共にいて、あなたを救い出すからだ」と確約された。

そこでエレミヤは出て行って、当時のユダ王国、特に首都エルサレムに対して、その悪を歯に衣着せぬ言い方で指摘し、悔い改めを迫った。

聖書は今日でも適用できる普遍的真理の書なので、ここからは「恐怖が取り囲んでいる」という語句に対して、思いつく事を当て嵌めてみる。

第一に新型コロナウイルス。過去に重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)が、人々を恐怖に陥れた。今回の新型も電子顕微鏡下でその像を捉える事は出来たが、まだ副作用の少ない有効なワクチンが開発されていない。感染力が非常に強く、殺傷力も大きいので、世界中の人々が「マーゴール・ミッサービーブ」と叫びつつ、身を潜めている。

第二にエレミヤがみことばを突き付けた、ユダ王国の特に身分の高い者たちの心のうちが、直近の日本の長たちに当て嵌まる。彼らはみな利得を貪り、みな偽りを行っている。そして庶民に平安がないのに、その傷をいいかげんに癒やし、「平安だ、平安だ」とうそぶいている。エレミヤの時代は敵バビロン帝国がいつ襲って来ても不思議でない状況だったから、彼ら為政者たちは「恐怖が取り囲んでいる!」と叫んだ。さらに堕落した権力者として、上述の事を平然と行っていたゆえに、至る所で庶民の怒りを買っていた。そこでエレミヤの糾弾は庶民の支持を得た。庶民はいつ彼らに対して弓を引き、石を投じてもおかしくなかった。同様に7割の良識ある人々の怒りを買い、そっぽを向かれた日本の為政者は、行く道々でその視線を浴びて、「恐怖が取り囲んでいる」つぶやかざるを得ないだろう。

第三に悪政に我慢できず声を上げた女優や芸能人、そしてコロナウイルス禍で感染してしまった弱者たち。彼らは為政者側からの非難は浴びても、まさか同じ同胞の庶民?から罵声を浴びせられるとは、当初思ってもみなかったと思う。この質の悪い人々が、彼ら弱者にとっては「マーゴール」なのである。剣(または脅迫文)が家に投函された人もいるだろう。その「マーゴール」を克服し、ツイッターなどで悪に歯止めをかけた方々は、本当に勇気があると思う。拍手喝采

コロナウイルス禍は誰にでも及び得る。私たちキリスト教徒でも感染して死ぬかもしれない。しかしその時に救い主イエス・キリストへの信仰が問われる。なぜなら主イエスは「死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するため」(へブル2:15)この地上に来られたからだ。そしてその信仰による賜物は、ヨハネが雄弁に語る。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。