ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

解体が決まった浪江町の小中5校

 「その日、その堅固な町々は、森の中の見捨てられた場所、かつてイスラエル人によって見捨てられた山の頂のようになって、荒れ果てる」(イザヤ17:9)。

東日本大震災からまもなく10年になろうとしているが、それまでに休校になっていた小中高は、これからどうなるのだろうか。

震災前浪江では町立小・中9校あったが、そのうち7校が昨年7月廃校と決まった。理由は長かった帰還困難区域の解除後も生徒が戻らないからである。解除と言っても全町の2割ほどであり、いまだ放射能がかなり高い所も多くある事が、避難先からの

帰還を逡巡させている。解除地域には高齢者にとって自然豊かな所は多くある。教会の友人宅を訪問してもその事を感じる。

それで7校の解体工事は今年春には全て終わってしまう予定なので、残らず視察して来た。

 

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①苅野小学校。行ったのは昨年11月。しかし再開を予測してか、よく整えられており、僕には一番印象的だった。つつじやイチョウなどの木々の鮮烈な色彩が記憶に残る。

②浪江中学校。ここもツツジが鮮やかだった。ダンプカーが1台玄関前に止まっていて、校舎内部からモノを運び出す音だけが虚しく響いていた。

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③浪江小学校。常磐線と国道6号との間、権現堂にあるこの小学校は、かつての市街地で校舎はやや小さく、左右に茶色の建物があるのが特徴的だ。

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④幾世橋小学校。東日本大震災津波被害がひどかった請戸地区を流れる請戸川の北側、なだらかな段丘を上って行くとそこにある。そこのグラウンドは避難解除後、再び学校が始まると思って、地区の人々がきれいに花壇を作っていた。まさか廃校とは思わなかっただろう。地形的に南下がりの土地なので、グラウンドには遺跡があったはず。

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⑤大堀小学校。避難指示が解除されたとはいえ、周囲はまだ帰還困難で、有名な大堀相馬焼の窯元も全て避難中である。この校舎のあるところも、これまで結構整備されてきたらしく、グラウンドから見えるその光景は美しい。

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これらの学校には解体番号がついていて、やがて全て無くなる。撮った写真はいわばその死んで行く校舎に対する鎮魂曲だ。