ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

21年2月13日、3月20日の大地震

「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです」(マルコ13:33)。

2021年2月13日夜11時8分、マグニチュード7・3の大地震福島県沖を震源として生じた。それまで私たちはコロナウイルスのエピセンター(=震源)はどこかなどと詮索しており、まさか東日本大震災の余震(本震のマグニチュードは9)と言われる地震が、これほどの揺れを伴って起きるとは思ってもいなかった。

実は阪神大震災地震を姫路の北に位置する夢前町で経験したが、その時もマグニチュードは7・3だったという。午前5時46分僕は母と家の中におり、2階で寝ていたが、もう少しでひしゃげると感じた頃は、衣服を着てガラス戸を開け、脱出の為に身構えていた。

今度の福島沖の地震の強烈さは、直感的に淡路島北部を震源とする地震と同じ規模だと思った。データはその通りだった。その割に被害が少なかったのは、不幸中の幸いだった。

それに比べると、東日本大震災は帰宅途中で、工業団地の柵に摑まり工場に勤める人たちが悲鳴を上げて出て来るのを尻目に、道の電柱が倒れ電線が垂れ下がらないかどうかを注視する余裕があった。帰宅してから本棚などの散乱状態を見て、その凄さを実感した次第である。

2月13日はまだ机に向かって書き物をしていた。移ったばかりの新しい家の状態を、回転椅子を自在に動かし、細かく観察していた。キッチンの開き戸が開いたが、収納されていた食器は全く落下しなかった。これは本当に不思議だと思った。いわき市ではそんな状態だった。

ところが南相馬市や相馬市など、震源地により近い方々の被害状況はひどかった。

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震度6強を記録したようだが、足の踏み場もない状況だった。我がブログ友だちの相馬の家では、初めて避難生活を余儀なくされた。

地震の初期に津波が来るかもと教えてくれた人(東日本大震災の時、国道6号渋滞の場合、迂回路としていた沿岸の道路に行くつもりが、障害物などもあり又6号に出てしまった為、津波を免れた人)がいたが、それも無かった。阪神大震災でもそうだった。僕は絶対押し寄せて来ると確信していたが、空振りだった。廃炉作業中の福島第一発電所も、おおむね大丈夫だった(細かい破損個所はタンクを始めこれから明らかになるだろう)。

結局震源の深さが決め手だった。確定したその値は55キロだった。東日本大震災では24キロだったという。

僕たちは自然災害の大きさを正確に予測出来ない。東電3被告が津波予測15・7メートルを予見出来なかったと主張したが、その真意はとにかく、僕たちだって五十歩百歩である。僕も震度6弱は全く想定外だった。ならば最悪の中での最善を追求すべく目を覚ましていよう。まず出口に至る通路にガラスなど壊れるものを置かない。ベッド周囲は飛んで来そうなものを遠ざけるなど、少しづつ部屋を整理していた。

なのに3月20日18時9分、またもや震度4弱の地震が発生した。先にスマホに警報が入ってから揺れが来たので身構えていたが、警報が先というのは不気味だった。これも震度60キロ、被害は2月13日よりさらに少なかった。しかし家の中で観察していて、相当な歪みが生じたのではないかという程の変化を感じた。配管とか電設など大丈夫かと一瞬思った。

ちなみに東電第一原発敷地の汚染水処理タンクは高さ6メートル、直径3メートルもある巨大なものだが、2月25日の発表では、53基に最大19センチのずれが生じたという。亀裂が生じて汚染水が一気に海にという最悪の事態は避けられた。

こうした地震の災いについては、聖書に「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです」(マタイ24:7-8)とある、終末期の特徴の一つであるのは、間違いないと考える。とにかく目を覚ましていよう。