ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

阪神大震災から16年目に、改めてあの大地震を思う

 1995年1月17日未明阪神大震災が勃発しました。それを私と母は姫路の北、夢前町で経験しました。
 神戸が主体の大地震でしたが、姫路や夢前でも、報道はされなかったもののかなりの被害が出ました。私の家もあと数秒横揺れが続いていたら、ひしゃげて倒壊し2階部分が1階になったかも知れません。窓の多い家だったので、その間の壁や2階バルコニー部分にひびが入りました。
 あの日の事は忘れられません。東京生まれでしたので、関東の地震時の揺れ方はだいたい分かっています。がたがた音がして来るなと思うと、大抵横揺れが続き、次第に終息してゆく様子まで想像出来ます。
 ところが阪神大震災ではまず縦揺れが来ました。それは神戸周辺では上下の激しいものだったでしょうが、私の夢前では何かとてつもなく大きな削岩機のようなものがダダダと家の土台を削っているような音がしました。衝撃はなかったものの、最初これは一体何だと思いました。もしかしたら地震?というほど正体不明な地響きのようでした。しかしただ事ではなかったので、2階の隣の部屋にいた母と共に急いで着替え、安全な場所に突っ立ったまま、身構えていました。母は静岡で関東大震災を経験しています。ですからその行動もすばやく、とにかく落ち着いていられました。
 ところがその初期振動を経てからが凄かったです。ゆっさゆっさといった大きな横揺れになったのです。柱に掴まっていたのですが、直感でこれは危ないと思いました。崩れたら二人でバルコニーから外に出ようと、その箇所のドアを開けておきました。最後の揺れが収まりやっと安堵しました。 
 あれから16年経過したなどとは思えないほどです。多くの死者が出ました。高速道路が倒壊しました。長田地区を中心とした大火災も起きました。地下鉄にも被害が生じました。時間がもう少し遅かったら、新幹線も動いて大事故になったかも知れません。
 それなのに三宮界隈はもうその爪あとを残す事なく、周辺諸地域も相当復興したと聞いています。
 寺田寅彦だと思いますが、「天災は忘れた頃にやって来る」という有名な言葉を残しています。
 日本中がもう忘れてしまったのでしょうか?
 聖書にも地震は多く登場します。
 主イエス・キリストはマタイ24:7で、将来のいつか起こる地震を預言されました。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります」。
 黙示録によると、それは神である主を崇めなかった者たちへの刑罰として、また回心への契機として生じる事になっています。
 「そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた」(黙示11:13)。これは七つのラッパの裁きの時に起こります。
 それを考える時、大地震が起きたら、神に背いている人々の裁きが近いという事を銘記すべきではありませんか。