請戸小が見つからない
2021年12月15,16日、南相馬市の鹿島区や小高区を主体に視察の旅をして来た。
いつもそうだが、国道6号をいわき市からずっと北上し、鹿島区まで行くと(その先の相馬市はなかなか難しい)福島県浜通りの変貌ぶりがわりによく分かる。特に帰還困難区域のある富岡町、大熊町、双葉町、そして6号から外れて西に入った浪江町(川俣町、二本松市など境を接する市町村まで、帰還困難区域は延々と続く)に踏み込むとそうなのだ。
その帰還困難区域内に特定復興再生拠点区域が出現し、僕はその一部にしか進入出来ないが、目に飛び込んで来るのは、線引きにより新たに光となったところと、依然として闇のままのところの鮮烈な対比である。
12月に入るまでは除染廃棄物や復興に関わる機材などを満載したダンプカーは、あまり見かけず渋滞はなかったが、年の瀬となって、長引くコロナ禍の下で年が明けると値上げラッシュとなる為か、富岡の夜の森あたりから、双葉町中野地区くらいまで、道路の造成工事が延々と続き、すさまじい交通渋滞が生じていた。おまけに何を間違ったのか、大熊町では国道といってもスピードの出せない狭い道路で追突事故まで起き、僕はアクセル、ブレーキと頻繁に操作する事になり、にわかに足の痙攣が心配になったほどであった。
今回僕が注目していたのは、何度か行った事のある浪江町請戸小学校の変容ぶりだった。
既に報道されているが、ほぼ2カ月前の10月24日、この小学校は震災遺構として一般に公開された。浪江町のホームページには「2011年3月11日の東日本大震災の脅威や教訓とともに地域の記憶や記録を後世に伝え、防災意識の向上を役立てるため、被災した町立請戸小学校を震災遺構として一般公開します」とある。
しかしである。僕はこの10月24日という日付での公開はちょっと早過ぎたと思う。なぜなら周辺は現在大規模な工事がずっと続いており、双葉町中野地区から北側の浪江町両竹地区に至るまでの「復興祈念公園」完成を目指しているからだ。この公園は津波被害のあった低地に盛り土をして、少なくも津波来襲の高さまでにするだろうから、膨大な土を運んで来なければならない。一応令和7年の完成を目指しているそうだ。
さらに請戸港のあるあたりと違い、この祈念公園のあたりから南の双葉町前田川河口付近までの堤防がまだ出来ていない。写真は双葉町海水浴場内にあったマリーンハウスふたばで、3階まで津波が来たが、良く倒壊せず残ったと思う。左の重機による工事に注目。
とにかく国道6号から知命寺交差点を曲がり、254号で請戸川を渡り、途中右折南下したあたりから、工事の為の2メートルはある柵が、あちこち存在し、請戸小学校を視野に入れる事が出来ないのだ。
僕が間違ったのかもしれないが、ダンプカーが通る穴ぼこだらけの道を南下しても、どうしても見つからない。仕方ないのでその整理係の人に伺い、やっともう少し南下すれば看板があって分かるからと教えてもらった。ところがその看板が見つからない。やっと小さな左折すればという貧弱な看板が見つかった。あまりに貧弱。しかし理由は分かった。ここは復興祈念公園工事の端にあたるところで、小津路も整備されていないのに、看板どろではないという事だろう。
だからそこを左折して進んだら、直ぐに立派な看板が見つかった。
写真右の道路は完成している。しかし左側はといえば、まだ雑草が生い茂り、道も未完成だったと記憶している。
こうしてやっと請戸小学校まで辿り着いた。
既に何台か見学の車があった。前の視察の時と違い、2階の各部屋に蛍光灯が点いているのが分かる。屋根にはソーラーパネルも設置されている。
しかし震災遺構としては何だか物足りない。総事業費は約3億7500万円とあったが、もう少し何とかならないか。でも震災当時のままの保存を優先したので、これで良いのか。さらにこの小学校見学、抜け目なく入館料をとる。団体でない大人の見学者300円、高校生200円、小中学生100円とあった。
そういえば、震災祈念公園に南で隣接し、既に完成稼働している中野地区東日本大震災・原子力災害伝承館と双葉町産業交流センターは、ハコモノとしては立派だが、ここの伝承館でも大人600円、小中高生300円とる。
金額の大小に関わらず、近年未曽有の大震災、もっと自由にただで見られたらというのは、貧しい僕のはかない願望なのか。
僕はやっと見つかった請戸小に入らず、すごすごと引き下がったのであった。
「【主】が家を建てるのでなければ建てる者の働きはむなしい。【主】が町を守るのでなければ守る者の見張りはむなしい」(詩127:1)。