ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

75年と7カ月過ぎて

 ご無沙汰しております。前回の記事から半年経過してしまいました。再び丁寧語のスタイルで書きます。

 75歳を過ぎてから何だかおかしくなりました。図書館で本を借りても、最後まで読み通す気力が無くなりました。何か書きたいという気持ちはあるのに、文章を構成する力が無くなりました。

 白内障の手術をしてパソコンの画面が良く見えるようになったものの、ある日突然見えにくくなりました。眼科医に訊くと、角膜に原因不明の炎症が生じていると言われ、目薬を処方してもらいました。それでやっと快方に向かっていますが、何となく手術直後のようなシャープな像を結べません。一番小さなポイントですと、いちいちレンズで見ないと見えません。それで新聞を読む事も、読書する事も、書く事も億劫になって来ます。自然にストレスが溜まって来ます。

 さらに現在の主要な身体の症状は小脳萎縮による酩酊様歩行ですが、それだけならパソコンに向かう事は出来ます。しかし突如その症状が出始めた2~3年前、並行していわゆる気象病も出現しました。オホーツク海の低気圧、湾岸沿いの低気圧、そして台風が近づくと、気圧の変化で額がこわばり、首の後ろが強烈に痛くなります。

 最近僕に関しては、この気象病というのはあまり当て嵌まらなくなりました。気圧の変化にかかわらず、割合常時額がこわばります。首も痛みます。温湿布は或る程度効果がありますが、今のところ効く薬は皆無で、それは小脳萎縮についても同様です。MRIの像を見ると、全く変化がありません。それで医者は譬えて言えば、大人の小人症のようなもので、正常且つ生活に支障なしと診断します。

 しかし僕の小脳萎縮は複雑な要素の絡んだ難病ではないかと考えています。一つのしるしとしてパーキンソン病のような歩行が挙げられます。他にも構音障害(た行の音が旨く発音出来ず、長く話しているとだんだん不明瞭になり、挙句の果てに意識が消えそうになります)、字がうまく書けない事(ハガキなどだんだん字が小さくなり、均衡を失って収まるべき範囲に収まりません)など幾つか列挙出来ます。「小脳萎縮症」としての一連の症状は僕の場合にもだいたい当て嵌まり、解明されていなくてもそれが気象病の時の首の激痛と関連あるのではないかと想像しています。

 その為に気圧の谷が近づいた時、通過中の時、通過後も、またその後に高気圧が接近して来た時も、首は痛み続け、額は硬直し、机で読書どころか、パソコンにも向かえません。ただベッドで仰向けになって休んでいるしかありません。不思議な事に、この仰向けの安静は、首の激痛を完全に抑えています。でもその時強烈な睡魔が襲って来て、短時間の睡眠では必ずレム睡眠となり、悪夢ばかり見ています。

 75歳という人生の節目、毎日新聞田原総一朗氏の『堂々と老いる』という本の書評がありました。田原氏もやはり75歳を過ぎたあたりから、僕が今経験している事を既に経験しておられたようです。それに近い年齢の皆様も同様でしょうか。

 というわけでブログの頓挫の経緯を記し、まだ(神様に生かされて)生きている証をお伝えしました。今後どうなるか分かりませんが、引き続き原発事故後の福島に関する記事を、時系列を問わず記してゆくつもりです。ブログ仲間の皆様どうぞ宜しく。