ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

過去から未来にわたる原子力事故の責任がこの世代に問われている

 原子番号92番のウランまでは自然界に存在します。(2011年9月1日の新聞に載った原子番号43のテクネチウムは非常に稀な存在で、ウラン238の自然核分裂で生じますが、初めて人工的に作られた元素として、ギリシャテクニコス{=人工のという意味}にちなんで名付けられまし)。
 このウランですが、単体ではなく酸化物としては早くも紀元後79年から利用されていたそうですが、正式な命名者は1789年のクラプロート(ドイツ)です(『元素111の新知識』より)。従って18世紀末から19世紀末までに盛んな研究が行われていました。その同位体は15あるそうですが、自然界ではウラン234(存在比0.005)、ウラン235(0.720)、ウラン238(99.275)の三つだけです。
 ウラン235は1935年に発見されたそうですが、核分裂を起こし莫大なエネルギーを放出する現象は、1938年ドイツの2人の研究者たちにより発見され、それから大量殺人兵器への応用の実現性が高まりました。その為米国に亡命した有名なアインシュタインが1939年、時の大統領ルーズベルトに、ドイツに対抗する為にも、核開発が早急に必要である事を訴えました。それが契機となり、1942年有名な「マンハッタン計画」がたてられた次第です。それは広島への原爆投下として結実してしまったわけです。
 一方プルトニウムは、1940年カリフォルニア大学の研究チームにより発見されました(自然界に存在せず、人工的に作られたものとしては初)。さらにその同位体の一つであるプルトニウム239は中性子照射で生成される事が翌年に分かりました。これもまた核分裂が活発で、ウラン235と同じように大量殺人兵器への適用が可能になりました。それから作られたプルトニウム爆弾が長崎に投下されました。
 ですからこの2つの核兵器により、日本の非常に多くの人々の血が流された事になります。
 第二次世界大戦後はこの2つの元素の特質が原子力発電への道を開いて行きました。しかしその歴史はチェルノブイリスリーマイル島での大規模な事故や、その他の無数の小事故を辿ってみても分かるように、これまた原子力発電所関連施設で働く従業員や、事故で飛び散った放射能を浴びた一般の人々の血を多く流す結果となりました。
 聖書に「世の初めから流されたすべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである」(ルカ11:50)という箇所がありますが、原爆・原発で流された人々の血の責任は、上記したように20世紀半ばから21世紀始めといういわば同時代の研究者たち、政治家らに帰される事になります。
 果たして22世紀以降はどうなるでしょうか?先に紹介したプルトニウム研究の第一人者であった故高木仁三郎氏は、『プルトニウムの未来』という小説の形をとった作品の中で、原子力発電で生じた放射性廃棄物の処理場が世界のどこでも見つからず、加工された廃棄体をロケットに載せ、太陽まで飛ばすという奇想天外な科学者たちの事を描写しました。彼らはそのロケットを金星の外側を回り、太陽に向けて行く手法で、実際発車させましたが、途中で制御不能となり、金星から地球に逆戻りしてしまいます。それを阻止する為に用意された迎撃用ロケットも的を外し、ロケットは地球に激突、破局を迎えます。その寸前で小説は閉じられますが、何だか放射性廃棄物最終処分場の見つからない現在、それに困った科学者たちなら思い付きそうな感じです。
 結局現在福島原発という世界に類稀な事故のつけは、これから数十万年という先の世代にまで付いて回るわけですが、その責任はどうなるのでしょうか。それと発癌性の因果関係が続々と解明され、死んで行く人々の血は、勿論現在こうした重大な事故を起こした研究者や東電、政府関係者たちに帰する事になるでしょう。つまり過去から未来に至る核関係の事故で流された、あるいは流される人々の血の責任は、今現在の懲りない原発推進者たちに対して問われる事になります。
 聖書はこうした神を差し置いて人間の知恵だけに頼る人々を最終的に裁き、汚れた世を一新するという事を、諸々の箇所で啓示しています。