ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

各種行列図の展示

 千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館では、12月9日まで「行列にみる近世−武士と異国と祭礼と」という題で、10以上の行列の屏風や絵巻や図の展示が行われていました。11月26日の朝日新聞が伝えていました。朝日の題は「行列を楽しむ江戸時代」とありました。
 行列と言えば、すぐ思い出すのが幕藩体制の江戸時代、徳川家光が出した武家諸法度(1635年)の中にある参勤交代制で、各大名が国元と江戸を1年交代で往復する事が義務付けられた事を受け、多額の出費を強いられながら家臣を引き連れて行った大名行列の事でしょう。
 大名行列は「本来、戦時の行軍に準じた臨戦的・軍事的な移動形態」だったそうですが、「江戸時代の太平が続くと次第に大名の権威と格式を誇示するための大規模で華美なものに変容した」とあります(ウイキぺディアより)。
 その家臣の中には武士の他、足軽、中間(ちゅうげん)が主体で、102万石の加賀藩では最盛期に4,000人にも達したそうです。
 ところが行列は大名のものに限らず、異国の使節の行列、祭礼の行列などもあって、その屏風や絵巻が展示されました。ちょっと遠いので行くのは諦めましたが、面白い企画だったと思います。というのは大名といった権力者だけでなく、庶民(町衆)が「蝶々踊り図屏風」、「祭礼行列」などに見られるように自ら参加するものもあったからです。そうした事例は初めて知りました。

 左図は赤穂城大名行列ですが、図の真ん中に大きく「馬」と書かれているのが見えます(赤穂城請取脇坂淡路守行列図=赤穂大石神社蔵)。
 この長い行列は、徳川御三家(「下にい〜、下にい〜」)以外は、「片寄れ〜7、片寄れ〜」の声で、行列から離れるだけの見物でよかったそうです。特に行列を横切らない限り、問題はありませんでした。この行列見物は庶民の娯楽であったと朝日にありました。
 また異国の使節の行列図には、琉球使節道中絵巻という立派なものもありました。昔は琉球王国でしたから、将軍が代わったときや、琉球国王が代わった時、琉球の役人の服を着た国王の使いが江戸城にあいさつに来ました。右図。

http://www.rekihaku.ac.jp/kids/schedule/special/index.html
 ところで聖書にも「行列」はありました。
 「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に」(マルコ11:7−10)。
 ここは有名なイエス・キリストエルサレム入場の場面です。しかしこの時キリストは十字架にかかられる前の「デモ」を行われたわけです。庶民は間違えて実質的な「王」としての入場と思い、道に自分たちの上着や木の葉を敷いて、キリストを迎えたのでした。キリストは立派な馬ではなく、「ちいろば」即ち小さなろばの子の上に乗って進まれたのです。見物の人々は一斉に「ホサナ!」を声をあげ、歓迎したのでした。ホサナとはヘブル語で「どうぞ救って下さい」という意味です。そしてキリストはまさにこの人々に救いを賜う力を持っていましたが、人の子としてへりくだって入場されました。そして粛々と十字架に向かわれました。でも次に来られる時は違います。世界に世々限りなく真の平和をもたらす権威ある王としてです。
*お知らせ:今回で千回となりました。閲覧して下さっている皆様に心より感謝致します。次回から若干スタイルを変えて続けます。宜しく!