ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『までいな村、飯館』(長谷川健一、花子著)を読んで

 「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている」(エレミヤ6:14)。
 図書館から2014年7月発行の『酪農家・長谷川健一が語る までいな村、飯館』を借りて読みました。
画像はhttps://kacco.kahoku.co.jp/blog/bookreview/52568からお借りしました。花子さんと長男の娘さんです。2011年3月16日、千葉へ避難の時のスナップ。
 福島県飯館村が極めて美しい農村で、までいな(=手間暇を惜しまない)生活様式を選択し、自立を目指すスローライフを目指して来たのに、原発事故で全てが破壊され、村民が皆村外に避難せざるを得なくなった事について、過去ログで2回記した事があります。
 今度出た本はその原発事故以前と以後との写真をふんだんに取り入れ、酪農家の長谷川健一氏が綴っている、極めて重い内容のものとなっています。
 長谷川氏は母牛の乳を搾って出荷する酪農家として、50数頭の牛を飼い、他にも50頭近いイノシシも飼っていて、両親、長男夫婦と子、そして次男の8人で、までいな生活を送っていました。
 地元の前田行政区では、他に農作物も手掛け、冬はイノシシ狩りと、典型的な『里山資本主義』を実践していました。
 その幸せな生活はあの3・11大災害で一変してしまいました。事の重大さを知り、長谷川さん夫妻は次男と結婚して別に住まいを構えていた長女だけを残し、他の家族は弟・妹の住む千葉へ避難させました。
 その後長谷川氏はカメラを携え、周囲の人々の安否を尋ねて回り、同時に震災直後から現在に至るまでの緊迫した状況を克明にノートに記して行きました。
 直後に生じた放射能プルームは飯館村全体を汚染させ、酪農業を壊滅的なものにしました。行政当局により屠畜(乳牛を殺してその肉を流通させる)処分命令が出されました。でも「酪農家は働き盛りの雌牛たちを屠畜に出すことなどありえない」ので、長谷川氏は知恵を絞り、12頭だけを犠牲にした後、残りは他地域に移動させたのです。
 そのような時、相馬市の知人の酪農家が自殺しました。牛舎に「原発で手足ちぎられ酪農家」の書きつけがありました。この悲報に長谷川氏はどれほど参った事でしょうか。
 とにかく飯館村は「計画的避難区域」に指定された為、村民全員が村を離れ避難生活を強いられています。そのうち長谷川家は、伊達市・伊達東住宅で仮設暮らしを始めました。その時妻花子さんがそこの管理人となり、この本の第二章を担当して、日々の暮らしぶりを綴っています。そこは里山なので、早速農地を借りて皆で野菜作り・花作りを始めました。それが気持ちの沈みがちな仮設住まいの人々の気持ちに張りを持たせました。地元との絆も出来ました。そうなると後はチューリップ栽培、餅つき、花見など次々とアイデアが出て来て、その光景が素敵な画像で示されています。それが読む私の気持ちも和ませてくれます。
 そして第三章の除染です。最初にヒマワリ栽培、これは失敗でした。それからモニタリングポストの設置、これも線量を意図的にねつ造されました。そこで長谷川氏は自前の線量計で片っ端から計量し、京都大学原子炉実験所助教の今中哲二氏の協力を得て、線量の高さを公表してゆきます。一方国は2012年1月から、除染作業の工程表を発表しました。しかし1年経過しても思わしくなく、あと3年は除染作業が必要となりました。しかも他の市町村の目標年間1ミリシーベルトに対して、飯館では5ミリシーベルト以下と決められてしまいました。また山林などは全くほったらかしで、これでは除染効果は全く望めません。さらに除染の為に使ったタオルや除染土、草木、廃材などが集められて、ポリプロピレン製のフレキシブルコンテナバッグに詰められてて行きます。しかしそれは中間貯蔵施設のない現在、仮置き場にどんどん積み重ねられて行きます。田に置かれたそのバッグの画像を見ると、私も気が滅入ってしまいます。
 そして第四章の不安。飯館村の外部被ばく推定線量は飯館がダントツに高くなっています。しかも因果関係は不明ですが、1,2年後から呼吸器系の病気で亡くなる人がぽつりぽつりと出て来ました。チェルノブイリの事故では、ベラルーシでの子どもたちの呼吸器系疾患が他を圧倒しています。それと比較すると皆不安な気持ちになるのは当然です。
 終章のこれからどうする?では、アンケートで帰村したいという層としてお年寄りで多いのは当然ですが、20代3%、10代0パーセントでした。長谷川氏はお年寄りだけでこの村はどうなると心配していますが、かつて酪農の先輩で仲の良かった菅野典雄現村長とは決定的に対立するようになってしまいました。村長は村の維持の為、形式的な除染であろうとなかろうと、とにかく帰村宣言を出して、子どもも含めた村民が戻って来る事だけを願っています。一人一人にこれからどうする?との決断が迫られています。
 この本では長谷川氏は「より多くの人に飯館村に起きた事実を伝えてくれるよう、願ってやみません」と、あとがきにかえての最後に記しています。そう、福島そしてとりわけ甚大な被害をもたらした飯館の事を、私たちは絶対に忘れ去る事は出来ません。忘れまいと思う都会の人々には必読の本だと考えます。