ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

鷲田清一、内田樹共著「大人のいない国」を読む

 図書館で上記の本を借りて読みました。ページ数が少ないのですぐ読み切る事が出来ました。
 鷲田氏のプロローグから対談の第一章が最も刺激的でした。
 「わたしたちの生きているこの社会は成熟した社会なのか、それともただの幼稚な社会なのか、ふと考え込んでしまう」。鷲田氏が危惧しているのは、現代社会では「働くこと、調理をすること、修繕をすること、そのための道具を磨いておくこと、育てること、教えること、話し合い取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること」といった大切な事柄の「自活能力」が失われて来ている事です。成熟した大人であれば、そうした生きてゆく上で不可欠な技量を、小さい頃から親などを通して身に着けている筈です。それが現在は公共的なシステムからカネを出してサービスを買うという安易な形になってきた為、子どもも青年も成熟してゆく事が出来なくなっているようです。
 しかしです。二人の対談に入りますと、今の社会は幼稚な人が幼稚なままでちゃんと生きてゆくことが出来るという日本の特異性を指摘しています。それは二人も言うように実に不思議な事ですが、このまま進むと日本人は進化どころか、退化、劣化してゆくでしょう。特に上記した自活能力が身についていない未熟な若者たちの間での軋轢は強まる一方だし、自分を育ててくれた親や周囲の大人たち、老人たちへの敬意も失われて来ています。6章で内田氏が子どもの未成熟を、「共同体に破滅をもたらしかねない災厄である」と警告している通りです。
 聖書によれば最終的にその「災厄」は成就します。
 しかしそのような困難な社会にあって、主イエス・キリストはヘブル書の著者を透し、その弟子たちにこう言っておられます。
 「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか(ヘブル6:1)。でも現実にはそうでない信徒がいる為、同じ書で著者はこう言っています。
 「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています」(ヘブル5:12)。
 「私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです」(コリント第一3:2)。
 これは成熟していない信徒たちへの叱責ではなく、乳に象徴される初歩的な事柄からのやり直しを通して成熟が可能であるとの勧めと解釈しました。信徒たちは地の塩、世の光として成熟を目指して進むべきです。