ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

里山資本主義

 「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう(」イザヤ55:1−2)
 藻谷浩介・NHK広島取材班著『里山資本主義』が本屋大賞を受けたのが2014年2月9日で、この本には注目していました。そしてまたそれに通じるイタリアの「スローフード運動」をこの夏視察に行った松原隆一郎氏が「資本主義に対抗しうる有機農法」という題のコラムで東京新聞に載せたのが10月17日の事で、それらを読みながらいろいろ考えていた時、SPYBOYさんのこの本に対する書評が載ったブログ(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20131004/1380898599)を思い出し、再読してみました。
 するとここでは何と上記松原教授の「スローフード運動」も取り上げられていて、改めてSPYBOYさんの慧眼に舌を巻きました。

 里山資本主義というのは、聞き慣れない言葉です。主要な著者藻谷浩介氏は、広島取材班による第1,2章執筆の後、第3章との間に「中間総括『里山資本主義』の極意」というのを挿入し、ここで持論を展開しています。
 まず藻谷氏は私たちが生きて行くのに必要なのは、金か、水と食料と燃料かという問いを投げかけます。勿論後者で、前者はそれを手に入れる手段に過ぎないという事です。
 里山資本主義とは「お金の循環がすべてを決すると言う前提で構築された『マネー資本主義』の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方」です。
 「必要な水と食料と燃料を、かなりのところまでお金を払わずに手に入れている生活者は、日本各地の里山に無数に存在する。山の雑木を薪にし、井戸から水を汲み、棚田で米を、庭先で野菜を育てる暮らし」、増える一方のシカや猪を狩って食べる暮らしなど、「先祖が里山に営々と築いてきた隠れた資産には、まだまだ人を養う力が残っている」のです。
 そうした里山での活動は「お金に換算できない幸せを増やす」事になります。
 ですから藻谷氏は、マネー資本主義へのアンチテーゼとして、1『貨幣換算出来ない物々交換』の復権、2規模の利益抵抗、3分業の原理への異議申し立てを掲げています。1は私が今やっている縄文時代早期の発掘でも感じます(黒曜石の入手と食料?の交換)。そこで絆やネットワークが形成されます。2は規模を拡大し、大量生産販売で利益を上げる事の対極として、松原氏が上げたイタリアでの有機農法という在来のものを考えると、よく分かります。私が茨城の鉾田で実践してみたのもこの有機農法で、周囲の農家がやっている科学肥料や農薬等の化学物質を使わない生活で、生態系に負荷をかけずに、土壌を豊かにするものです。しかしこの農法による野菜の有機栽培は、雑草との戦いがすさまじく、収穫までにおそろしく手間暇をかけるもので、まさに「スローフード」運動と言えます。3は「薪も切れば田畑も耕す。少々の大工仕事は自分でこなすし、料理もお手の物…一人多役の世界」(藻谷氏)です。
 そうした実践の中から生まれてくるのが、人との絆であり、自然とのつながりです。それは本当に貴重な経験となります。
 ブログ仲間ではまさに「ほのぼの日記」のmiyotyaさんが千葉で実践しています。畏友iireiさんが群馬大田市で弟さんと行っているのも、広く里山運動と言えるでしょう。
 一つ難問があります。この里山資本主義を批判した久繁哲之介氏は、この本に頻出する「建材メーカーの銘建工業(真庭市)が製造販売した木質ペレットの焼却灰から1キログラム当たり最大2600ベクレルの放射性セシウム137を検出した」と主張し、この木材が地元の杉などからではなく、北欧のもので、チェルノブイリ事故による汚染が原因と言っています。それで「自給自足も、原価0円も、クリーンなエネルギーも、全て『ウソ』である」と手厳しいです。私は事実関係は分かりませんが、岡山県真庭市里山には多少の放射性物質はあると思っています。しかし福島原発放射能がそこまで飛んで行ったのかと言いますと、ちょうど岡山で2013年行われた講演会で京大の小出裕章助教は、「偏西風でほとんどの放射能が東へ飛んだために岡山県はきれいです」ときっぱり言っています。
 それ故データ上では、福島を中心とする近隣都道府県の里山放射能で汚染された事になります。里山運動の担い手は、やはりそうした汚染地にに赴くお年寄りたちが主体でなければならないのかなと考えました。