ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

一物理学徒から見た近代日本一五〇年

 「彼らはわたしを捨て、ほかの神々に香をたき、彼らのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こすようにした。わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることがない。』」(列王第二22:17)

 1868年から2018年までの近代日本150年を、政治史家は政治の視点から、経済史家は経済史からというように、それぞれ自分の専門を生かして書いて来ました。今度出た山本義隆著『近代日本一五〇年』は、副題に「科学技術総力戦体制の破綻」とあります。山本氏は専門が物理学、科学全般に至るまで通暁し、『磁力と重力の発見』で見せた古い文献の発掘とその意義を、日本近代史でも縦横に駆使して書いています。
 序文に「開国した日本は、近代化をエネルギー革命として開始することになった」とあります。それが3・11原発事故で、「エネルギー革命がそのサイクルを終えてオーバーランした」のです。オーバーランは「行き過ぎる」という意味です。
 山本氏は福沢諭吉が「物理学」という言葉を使い、率先してその啓蒙に努めた事に注目し、得意の物理学を用いて、近代日本の開花、発展、終焉に至るまでを、この本で述べています。これは一物理学徒による全く新しい近代史・現代史に他ならず、画期的なものと言えます。しかし300頁近いこの新書、理系にあまり興味のない人には、少々しんどいかもしれません。
 山本氏は元東大全共闘代表と略歴に書かかれる事を躊躇していません。立場は不変です。その観点から近代史を、いやそこに登場する人物を、バッサバッサと切っています。自己否定の論理を踏まえての事です。
 殖産興業・富国強兵を掲げた明治政府は、1870年工部省を立ち上げ、工部大学校を設立しました。1885年以後帝国大学工科大学(現在の東大工学部)となり、工部大学校で培われた近代技術者養成を引き継ぎ、士族出身者でその人員を占める事になりました。学生は超エリートとなり、「官尊民卑」の風潮が科学技術の世界で確立されてゆきます。このあたり山本氏の面目躍如たるものがあります。
 殖産興業の物質的基盤は蒸気機関の使用であり、鉄道敷設と相俟って進展してゆきます。その1歩が製糸業でした。富岡製糸工場の誕生です。
 次のステップが「電力」です。「『電力』と通称される電気エネルギーの利用こそが…近代化の真のメルクマールであり、エネルギー革命のピークを形成する」。
 1887年東京電力の前身「東京電燈」が設立され、電気事業が始まりました。近代日本のスタートから僅か20年程でした。東京電燈は東京下町に火力発電所を設けました。東京ど真ん中と言えます。原発という危険なものを都心から遠ざけたのとは好対照でした。
 しかしその最速近代化の中で富岡製糸工場の過酷な労働や、足尾鉱毒事件等々が発生した事も、山本氏はぬかりなく指摘しています。
 次に山本氏は私たちの目を「富国強兵」に向けさせます。上記電力が一般に普及し出したのは、20世紀に入ってからだそうで、それまでは大口電力消費者はであり、軍需産業でした。そして発電も火力から水力へと移行しつつあり、東京電燈は都心を離れ山梨から電気を受け、1915年には猪苗代水力電気が東京まで送電するようになりました。「大送電網の時代が幕を開ける」事になったのです。東京電燈はそこから電力を購入した事で、福島が関東の電力源となりました。現在の東電が福島に原発を設置したのも、そこに基礎があります。
 先立つ1914年、第一次世界大戦が勃発し日本も参戦しました。日本帝国主義又は軍国主義の嚆矢とも言えます。
 その一翼を担ったのが東京帝国大学でした。軍学協同で東大に造船学科、造兵学科が設けられました。山本氏が学んだ東大物理学科の創始者田中館愛橘で、のっけから軍に追随していました。田中館は航空学科も作り、地球物理学分野の功績もあって、1944年文化勲章を受けています。ちなみに東大全共闘に加わった私の中学時代の友人は、この航空学科に入り、その経緯に疑義を抱き反旗を翻しました。
 軍事力増強には化学産業の進展も必須で、山本氏はそれにも言及しています。かくて日本は国家総力戦へと突き進んで行きます。1936年頃自動車産業も立ち上がりました。日産、トヨタ三菱重工などの誕生です。そうして東大工学部出身の専門技術官僚が誕生します。その後輩内閣府原子力安全委員会委員長斑目春樹氏(=原発事故当時有名になりました)みたいで、技術者が官僚入りを果たしたのです。
 1938年「電力国家管理法」が制定され、「電力の一元的国家管理が完成した」。これも強兵に役立ちます。戦時下で国家総動員体制が敷かれると、科学者もまた総動員されました。
 しかし遂に1945年日本は戦争で負けました。けれども山本氏は「日本の科学のこんにちの展開の基礎は戦争によって培われたのである」(*広重徹氏の文献を引用)と断言しています。だから敗戦直後、優遇されて来た科学者の中に悔い改めを表明した人は一人もいなかったのです。それゆえ「科学戦の敗北」などという言葉も出て来ました。その象徴が米国による広島・長崎への原爆の投下による先駆けの「勝利」でした。
 そのために原子力の平和利用への転換がなされましたが、日本陸軍の原爆開発計画の中心にいた東京帝大出身の原子核物理学者仁科芳雄とその下にいた武谷三男ら著名な学者たちは、深刻な自己批判もせず、原発推進の音頭とりをしたのです。山本氏は触れていませんが、戦後初のノーベル物理学賞をとった湯川秀樹も、原爆研究に参与していました。東大総長となった茅誠司強力な原発推進論で、全共闘当時の山本氏は激しく反発したと記憶しています。
 1954年には東京電力が新たに発足して、電力の安定供給体制が敷かれました。1963年東海村で初めて原子力発電所が建設され、東電も1971年に福島第一原発1号機を稼動させました。
 こうして戦時下の総力戦体制が、現在もれっきとして存続し、とりわけ原発建設は「政・管・産・学そしてメディアからなる原子力ムラ」により推進され、一度は福島原発事故で頓挫したものの、東電主体にその力を盛り返そうとしています。
 でもこの原発事故、これから廃炉も含め何十年、何百年も続く事であり、山本氏は「今まで人類が経験した事故と決定的に次元が異なると主張しています。その意味で日本のエネルギー革命が終焉を迎えたのは確かでしょう。
 山本氏にはこの本の副題である「科学技術総力戦体制の破綻」の「破綻」を、さらに追及してもらいたいと思いました。ちょっと長くて偏った本の紹介でした。