ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ヤコブ・ラブキン教授によるイスラエル論

 4月20日の新聞投稿に、モントリオール大学歴史学教授のヤコブ・ラブキン教授が、イスラエルについて書いていました。それはイスラエル建国62周年記念日にあたるその20日に関連するものでした。
 早速その事に触れようと思いながら、ネットで検索していたら、既にこのはてな日記に投稿している方のブログが見つかりました。http://d.hatena.ne.jp/sunchan2004/20100422
 sunchanさんは、イスラエルという第二次世界大戦ホロコースト(=大虐殺)の被害を受けたユダヤ人が建設した国が、また一方で建国以前から住んでいるパレスチナ人を迫害しているという教授の主張を、広島に適用しています。広島もまた被爆都市でありながら、戦前は軍事都市として日本軍の戦争に加担していたという事実を、これからどう語ってゆくのかという真摯な問題提起となっています。
 私はパレスチナ人をユダヤ人がどう見ているのかという観点に絞りたいと思います。
 今のイスラエルの国が1948年に建設されたのは、聖書の預言の成就の一つと言えるでしょうが、その時ユダヤ人たちは、既にこの地に住んでいたアラブの民族であるパレスチナ人たちを追い出そうとしました。
 その背景には神がこの国を含むさらに広い地をアブラム(後のアブラハム)とその子孫に、永遠の所有地として与えると約束された事があります。
 「その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。『わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。』」(創世15:18)。
 そしてその事は聖書の中で何回か繰り返されています。例えば以下の通り。
 「わたしは、あなたの領土を、葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また、荒野からユーフラテス川に至るまでとする。それはその地に住んでいる者たちをわたしがあなたの手に渡し、あなたが彼らをあなたの前から追い払うからである」(出エジプト23:31)。
 それはヨシュア記の中でほぼ完結しましたが、その後のイスラエルの動きを見ますと、士師たちの時代から王国建設、そしてその滅亡、離散と続きました。彼らがパレスチナの地を占領したのは、現地人たちが神の目から見て「聖」でないという事でしたが、その彼ら自身がまた主の目にかなわない重大な罪を犯した為に、国が滅んだわけです。
 そして長い離散の時期を経て、1948年の建国を迎えたわけですが、イスラエルの理念はこの聖書のものと基本的に変わっていませんでした。ですからパレスチナ人は異邦の民として追放、迫害の対象となりました。
 またイスラエルはかつての領土を取り戻す為に侵略行為を行い、常に軍備を補強しています。
 まさに第二次世界大戦中最大の被害者が、今相当の加害者として国を統率しています。
 ですからラブキン教授が指摘するように、「平和な中東においてアラブ、ユダヤ双方の人々が平等に暮らすとき」が実現した暁に、真の建国記念日を祝える事になります。
 その為の努力を惜しまないユダヤ人、パレスチナ人、特にごく少数ではありますが、和解と和平を求め、祈っているキリスト教の人々が国内に存在しています。
 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5:9)。
 キリストは武器によらない真の平和を求める人々を祝福されますが、世の人々の中には、キリスト教の歴史を見ながら、中世のキリスト者たちはユダヤ人を迫害したではないかと主張する人もいるでしょう。ピースメイカーであり、それを提唱しておられるキリストご自身が今でも大いに誤解されているのは、大いなる悲劇です。