ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ミレーの落穂拾いと聖書箇所


 ボストン美術館展が東京六本木で開催されているようです。本日の夕刊にはミレーの「馬鈴薯植え」という作品が載っていました。その畑から見える平原は有名な「落穂拾い」の背景にもなっているそうです。
 ミレーは1814年〜1875年まで生きたフランスの画家です。パリ近郊の農村に移住して、素朴な農民の日常を描きました。写実主義画家です。そして「落穂拾い」は1857年に作成されました。
 彼の父や祖母は教会に通う敬虔なクリスチャンだったそうですが、彼自身についての評価は研究者によって分かれています。ただこの「落穂拾い」を見る限り、彼が聖書からヒントを得たのは間違いなさそうです。
 その聖書箇所は、以前このブログでも触れたルツ記にも出て来ますが、律法の規定はそれより古くから存在します。
 「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である」(レビ19:9−10)。
 これが聖書の時代における神の「トリクルダウン」政策でした。土地を所有し、その実を収穫するリッチな者は、全てを取り尽くしてしまうのではなく、必ず貧しい人々、在留異国人たちの為に残しておかなければならなかったのです。それはリッチな人も貧しい人も顧みて下さる神のセーフティネットでした。
 またこの精神を汲んで、初代教会の人々も以下のような事をしていました(共産主義とは違います)。
 「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた」(使徒2:44−45)。
 ここには富む者が貧しい者を顧み、ワークシェアリングをしていた事が伺えます。皆が一致して神の栄光を表わしていました。
 今日の日本はどうでしょうか?貧しい人々が急激に増え、就職もかなわず、明日のパンにも困っています。
 そういう私も高齢で仕事がなく、可能な限り節約しています。でも主なる神を信じているので、必ず必要は満たされると確信しています。