ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

会ってみたい革命家

 2011年8月24日の朝日新聞に、「会ってみたい『革命家』」という題のもとで、アンケート調査の結果が出ていました。特に20世紀に絞って、約60人の革命家たちの中から、2161人が回答を寄せました。
 その結果第1位はマハトマ・ガンジーでした。「非暴力不服従」の姿勢が多くの人に受け入れられました。「血なまぐさくない人」、「安心な人」、「会ってもいきなり殴ったりしないイメージの人」などといった理由が挙げられています。編集部が60人の中にスターリンを含めていたかどうか分かりませんが、20位以下で列挙されている人物たちの中に含まれていませんでした。おそらく「会ってみたくない『革命家』」なら、おそるべき血の粛清を行った彼がトップの座に座るのではないかと想像しています。
 私としては信仰を持つ前だったら、第2位のチェ・ゲバラとか、第6位の毛沢東、17位のレオン・トロッキーあたりを挙げていたかも知れません。
 ゲバラバリケードの中でもよく語られていた人でした。キューバ革命後、トップの閣僚の座に居続ける事なく、ボリビアでの闘争に加わり、39歳の若さで捕らえられ処刑されました。死を覚悟した彼は銃殺しようとする兵士に向かって「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」と言ったそうです。銃を握ってという事では、ガンジーと対極を成すのでしょうが、彼のやさしさ、「甘いマスク」が、今でも人々を魅了しているのかも知れません。
 では信仰を得てからは誰か?20世紀と言う制限を外せば、勿論救い主イエス・キリストです。テサロニケの町で伝道していたパウロとシラスが「イエス」は「キリスト(メシア=救い主)であると説教すると、激したユダヤ人たちは2人を捕らえようとしました。その時彼らが吐いたイエスとその弟子たちに対する言葉に「世界中を騒がせて来た者たち」(使徒17:6)というひどい表現があります。この場合世界中とあるのは当時のローマ帝国支配下の世界でした。そして「騒がせる」という動詞ですが、ギリシャ語アナスタトオーの意味は、「ひっくり返す」「(政府を)倒す」という意味です。ですからその意味でイエスとその弟子たちは、ユダヤ人にとっては「おそるべき革命家」だったわけです。
 しかしゲバラが若くして死んだように、この革命家集団の主イエスも33歳の若さで十字架につけられました。その生涯を追ってゆきますと、イエスはおよそ「革命家」のイメージではありません。確かに芥川龍之介が評したような「古今に珍しいジャアナリスト」(『続西方の人』)でもあったイエスは、群衆、貧しい人々、病の奴隷になっている人々に語りかけました。しかしそれは彼らに剣を持たせ、ローマの属領を占拠させとというアジ演説ではありませんでした。
 それは静かな革命でした。
 「イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした」(ルカ8:1)。
 それはローマ世界を打ち倒し、この地上の世界に神の国を樹立させる事ではありませんでした(その点でユダヤ人たちは大いに誤解しました)。
 「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。『神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。「そら、ここにある。」とか、「あそこにある。」とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです』」(ルカ17:20−21)。
 イエスが求められたのは、人々の心の中の逆転だったのです。それは目に見える新しい国の到来ではありませんでした。ですから無血で平和を求める革命家でした。
 しかし現在世の中は終末に向かっています。相変わらず銃で世を変えようとする者たちが多くおり、人々の愛は冷えています。
 いつか復活した救い主イエス・キリストは、この地上に降りて来て、反逆する者たちと戦い壊滅させ、千年王国を樹立するでしょう。それはもはや平和の支配するすばらしい世界となる筈です。