ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

吉本隆明ーもう少しで信仰に至ったのに!

 吉本さんは詩人・評論家として良く知られており、全共闘運動が盛んだった頃も随分学生たちに読まれていました。私は代表作の一つ『共同幻想論』など読もうと思っていましたが、なんだか難しそうで敬遠してから、ほとんど何も読まないまま過ごして来ました。
 信仰を持ってから著作の中に『マチウ書試論』なる初期のものがある事は知りましたが、やはり読んでいません(何かの機会に一瞥したように記憶しています)。それで内容の一部を松岡正剛氏の千夜一夜にあるものから引用させて頂きますと(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0089.html)、「最初に、マチューショこと「マチウ書試論」を読んで驚いた。ヨシモトは聖書の作者を問題にしているのだった。そして、『ジェジュの肉体というのは決して処女から生まれたものではなく、マチウ書の作者の造型力から生まれたものだ』などと書いている。これはすごいとおもった」とあります。
 これを読んだだけで、吉本氏が聖書を信仰を持って読んでいるのではなく、批評家の目で観察したものだと分かります。そういう人は解釈力は凄いのでしょうが、信仰を得たいと思っている人々の為には、かえってマイナスです。
 今回何のきっかけだったか忘れましたが、『吉本隆明「食」を語る』を図書館で借りて読みました。フランスの食文化研究の第一人者と呼ばれる宇田川悟氏がインタヴューする形で構成されています。
 全体の印象としては、氏も歳をとって随分「好々爺」になったなという位でした。食について独特な考え方を知りたかったのですが、あまりそういうところまで踏み込んでいません。長らく糖尿病を患っていて、だからこそ美味しい食べ物に対するこだわりみたいなものは伝わって来ます。
 本の中で、1996年に静岡伊豆の海岸で泳いでいて溺れ、死ぬ寸前までいった事に触れています。新聞でも報道されましたから良く覚えています。
 そんな試練を乗り越えて、90歳に近い氏はまだまだ元気旺盛といったところのようです。
 この出来事は氏のこれまでのモノの考え方をかなり変えたようです。それが宇田川氏との対談で出て来ます。
 「前は、たとえば新約聖書を読んでいて、キリストが病気の人のところに行って頭かなんか撫ぜて『立ち上がれ』とか言ったら、たちまち立ち上がったとかってあるでしょ。そういう馬鹿なことができるわけねえじゃないか。ぜんぜんお話にならない、こんなのは誇張した作り話だったと思っていましたけど、いや、これはこのぐらいはあり得るぞって。なんかそこいら辺が、僕が変わったっていうよりも、俺の思考は少し拡大したんだって思っている…」。
 見方によっては、神は死ぬ寸前の吉本氏を救い、その心の回心まで望んでおられたと思います。
 「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」(マタイ5:45)。
 でも今のところ氏はこの神からの恵みをそれとして受け取っていないようです。もう少しで信仰に至ったのにと残念がっているのは、私だけではないでしょう。