ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

金正日総書記の死は実際皆が心底から嘆き悲しむほどであったのかどうか

 12月28日の朝日新聞(ネットから)に、「人民を動員し、悲しみ演出? どうなる金総書記の葬儀」という題の記事がありました。それは父金日成主席の死の時の状況から始めています。フリージャーナリストの高沢皓司さんの話が引用されています。その時は実に200万人の人々が霊柩車の進む沿道で泣き叫んだそうです。高沢さんはそれが儒教の教えに沿ったものだと言っています。大阪の葬儀社の方のコメントもそれを裏付けています。
 しかし私は金日成主席の場合、そうした儒教の慣行だけではなかったと思っています。朝鮮人民軍を率いての戦争は祖国統一とはなりませんでしたが、とにかく朝鮮民主主義人民共和国を成立させた功績で、民からの相当な敬意を受けていたと思います。私の想像ではその人柄も決して悪いものではなかったと思っています。なぜなら母も外祖父もキリスト教信仰者だったので(*ウイキペディアより)、幼い時にその薫陶を受けていたのではないかと推察するからです。
 では金正日総書記の場合はどうだったのでしょうか。29日の朝日新聞が伝える28日の葬儀では、確かに沿道で泣き叫んでいる人々の映像が載っていましたが、どれほどの数の人々が「動員」されたのかは不明です。脱北者のコメントに「金正日は恐怖政治で自分を神にした」とあります。その独裁体制は世界各国の経済制裁を招き、多くの民に貧困と飢えをもたらしたようです。民はもはや彼の事を父金日成のようには慕っていなかったと推定するのが妥当でしょう。
 ですからネットの複数のサイトを覗いた結果、民は心底から嘆き悲しんではおらず、当局から強要されて「泣きまね」をしていたというのが真実のようです。もしそうしないと、何らかの処罰、制裁を受ける事になるからです。儒教的なしきたりどころではなかったはずです。

 そうした事を考えていたら、あるサイトで中国でも「哭喪人(クサンロン)」と呼ばれる葬儀で泣くことを職業としている「泣き女」がいるという情報を得ました。どうもそうした泣く事の演技は中国や北朝鮮に限った事ではなさそうです。
 ユダヤ人も葬儀や悲しみの時によく号泣します。例えばアマレク人の攻撃で妻たちを拉致されたダビデらです。
 「ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった」(サムエル第第一30:4)。
 しかしそればかりでなく、やはり「泣き演技」をする役者もいたようです。
 「それゆえ、主なる万軍の神、主は、こう仰せられる。『すべての広場に嘆きが起こり、すべての通りで、人々は「ああ、ああ。」と言い、農夫を呼んで来て泣かせ、泣き方を知っている者たちを呼んで来て、嘆かせる』」(アモス5:16)。
 イスラエルは罪の為に主の裁きを受けようとしています。それを嘆いての事ですが、心底からの悔い改めに至らす、演技で誤魔化そうとする者たちが出る事を主は預言しておられます。これはすぐ金総書記の葬儀に適用出来ます。
 一方イスラエルの王でありながら、その民に良き知らせ(=福音)を伝えておられたイエス・キリストの場合、独裁者金総書記とは対極を為すものでしたが、民は「笛吹けども踊らず」(*為政者の誘いに人民が乗って来ない形容=新明解国語辞典)の状態で、3年半の後この地上から断たれました。
 「笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった」(マタイ11:17)。
 しかしこの救い主は3日目に甦り、今度はその民と共に千年の王国を建てられます。もはや十字架の時とは異なり、民の弔いは一切不要となります。