ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

菩提樹

 菩提樹と言えば、「泉に添いて 茂る菩提樹〜」で始まるシューベルトの「冬の旅」に収められている曲という位の発想しかありません。
 菩提という言葉から、つい仏教の開祖であるゴータマ・ブッダを思い出してしまい、ちょっと私には無関係かなと思っていました。
 ところが2012年9月1日の朝日新聞に、この菩提樹の記事があって、少し勉強してみました。オーストリアやドイツに植わっているこの木ですが、ネットで調べてみると、どうもインド由来ではなさそうです。そちらのほうはインドボダイジュと言い、西洋のはセイヨウボダイジュと言うそうです。このあたり詳しい人は教えて下さい。

 この西洋菩提樹のドイツ語がリンデンバウム( Lindenbaum)です。冬の旅の第五曲の歌は、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩集によっています。
 その曲の中ほどに「来よいとし友 此処に幸(さち)あり」とあります。Komm her zu mir, Geselle, Hier findst du deine Ruh'.(コム・ヘール・ツゥ・ミール・ゲゼレ・ヒール・フィンツト・ドゥー・ダイネ・ルゥ)
http://video.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E5%86%AC%E3%81%AE%E6%97%85+%E8%8F%A9%E6%8F%90%E6%A8%B9+%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%AA%9E%E6%AD%8C%E8%A9%9E
 ここで朝日記者は「傷心の旅にさまよう青年を、菩提樹が自分の元へといざなう。(近藤)朔風は『幸あり』と訳しているが、ドイツ語で『Ruhe』とは、静寂、癒し、憩いの意味だ」と書いています。確かにドイツ語辞典を調べても「幸い」という意味は出て来ません。しかしここで近藤朔風が意訳したとすれば、それはそれですばらしいのではないかと思います。
 傷心の旅にさまよう青年は聖書では次のようです。
 「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った」(イザヤ53:6)。
 しかしさまよう子羊は擬人化された一本の大きな菩提樹の招きを受けます。ここに居れば、あなたは幸いだ、あなたは癒しを得る、あなたは憩う事が出来る…。
 聖書には菩提樹は出て来ませんが、この癒しを、この憩いを与え、幸いを与えて下さる方がおられます。「まことのぶどうの木」イエス・キリストです。
 「主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む」(詩147:3)。
 「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」(詩23:2)
 しかもこの新聞記事に登場する三宅幸夫慶大名誉教授は、ドイツ語のルゥ(エ)=憩いは「死と同じ意味なんです」と言っています。菩提樹は死の木でもあるという事です。
 ならばそれは一層イエス・キリストにふさわしいでしょう。地上での生涯でキリストは多くの人の病を癒し、憩いと幸福を信仰者に与えられました。しかし、この地上でキリストを待ち受けていたのは十字架の死でした。
 でもキリストは三日目に甦り、昇天されましたから、そのぶどうの木に繋がっていた信徒も天国で永遠に憩う事が出来ます。
 なおバッハのマタイ受難曲の終曲にも「ルウェ・サンフテ、サンフテ・ルウエ」(=憩え安らかに、安らかに憩え)という言葉が繰り返され、感動のうちに閉じられます。埋葬されたイエス・キリストへの声掛けでした。