ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

永続敗戦論を私も読んでみた

 「するとモーセは言った。『それは勝利を叫ぶ声ではなく、敗北を嘆く声でもない。私の聞くのは、歌を歌う声である』」(出エジプト32:18)。
 出エジプトを果たした民は荒野で神に信頼せず、偶像を造り恍惚状態で歌を歌い、不満を発散させていました。
 2013年6月28日のcangaelさんのブログ(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130628/1372421718)で、初めて白井聡さんの名前とその著書『永続敗戦論』を知りました。そのすぐ後の7月3日の朝日新聞に、白井さんへの単独インタビューが載り、私は「永続敗戦」の意味を知りたいと思い、この本を図書館で借りて読みました。

 白井さんは1973年生まれの若手研究者で。早大卒、文化学園大学助教です。上記ブログでは『戦後史の正体』で有名になった孫崎享さんとの対談でしたが、書評を天木直人氏が書いていて、よほど注目されている本と思い、覚悟して読みましたが、200ページほどの本の中に小さなフォントでぎっしり書かれており、中身が濃くてとても半端な書評が書けるものではありませんでした。SPYBOYさんが書かれるとの事で、そちらに期待します。
 白井さんの定義は朝日から借用するのが一番です。本の中味の要約がそこで簡潔に示されているからです。
 「そもそも多くの日本人の主観において、日本は戦争に『負けた』のではない。戦争は『終わった』のです。1945年8月15日は『終戦の日』であって、天皇終戦詔書にも降伏や敗戦の言葉は見当たりません。このすり替えから日本の戦後は始まっています戦後とは、戦前の権力構造をかなりの程度温存したまま、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代です。敗戦を『なかったこと』にしていることが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。私はこれを、『永続敗戦』と呼んでいます」。
 明快な定義です。これだけで白井さんが何を言いたいのかほとんど分かります。
 従って安倍政権になってから、上記平和と繁栄の戦後が終わりに近づき、憲法改悪と戦後最大のタブーであった核武装への道が開かれようとしています。近隣諸国との戦争という本音モードになって来た事を、白井さんはこの本で立証しようとしています。しかし圧倒的な米国軍事力を前にして、対米臣従の構造は基本的に変わっていないので、周辺諸国との関係は悪化し、孤立する一方です。
 その問題の最大のものが領土問題であり、白井さんはかなりページを割いてそれに触れています。三つの領土問題(尖閣諸島竹島北方領土)です。
 尖閣各諸島においては、米国は中立ですが、日本が棚上げを止めて戦争に至り、米国も参戦すれば核戦争になる可能性がないとは言えない、と白井さんは言っています。
 さらに北朝鮮拉致問題等を巡っても、安倍政権では潜在的な戦争状態に入っているそうです。
 対米従属問題では白井さんはTPPを取り上げ、米国は安倍政権がかつてのような無条件の同盟者でなくなりつつある事を感じながらも、国益追求の立場からそれを押し通そうとしていると言っています。
 靖国問題も戦争の火種となります。その参拝強行はかつてないほどの緊張関係を周辺諸国との間で引き起こすでしょう。米国はそれを憂慮しています。だから私たちの見えないところで圧力をかけ、中止させようとしています(安倍氏に関する限りそうなりました)。
 果たしてそうした安倍政権の動きは、戦後の終わりの始まりとなるのでしょうか?
 でも8月5日に発生した米軍ヘリの宜野座墜落事故への安倍政権の対応を見ると、沖縄に配慮した見かけの抗議を行っても、やはり対米従属の姿勢がありありです。未だ真の平和と繁栄のない沖縄の抗議を、冷たく切り捨てています。

 永続敗戦は永続的に続くのか、矛盾と緊張を孕んだこの大いなる危機の時代、かつて石川達三が聖書から引用し、本の題とした『風にそよぐ葦』のように、私たちは翻弄され続けるのでしょうか?
 いやそうではない、私たちには戦後日本の国体、最強の国体があると上記天木氏は主張します。それは何か?アメリカの言うなりにならない為、庶民に出来る一つの事があります。それこそ「憲法9条」です。これを世界に向けて私たちが「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして」(マルコ12:33)発信してゆく事です。それなら天木氏も言うように「米国も中国も、如何なる国も反論できない」のです。

*お知らせ:明日から教会キャンプがある為、日曜も含め3日間ブログをお休みします。