白い巨塔の中で孤高を貫いた近藤誠氏
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」(イザヤ53:3)
朝日「逆風満悦」欄では、2013年10月12日から3回にわたり慶応大学万年講師で間もなく定年を迎える医師近藤誠氏を取り上げていました。
近藤氏は1948年生まれ、慶応大学医学部を卒業しましたが、勉強家で、早くから将来教授になるだろうと仲間たちから思われていました。
ところが近藤氏は慶大で癌放射線治療を続けながら、出世する事は出来ませんでした。それは教授らから睨まれ昇進が不可能だったからです。
そのように日本の閉鎖的な縦社会の大学組織では、トップの教授に嫌われたら、一生その時点の職掌のまま定年になってしまいます。そうした問題を小説で書いたのが、近頃亡くなった山崎豊子氏の『白い巨塔』で、そこに教授財前五郎と助教授里見脩二の対立の図式を見る事が出来ます。それは小説に限らず、東大医学部闘争中の故高橋晄正講師や、反原発闘争の小出裕章京大助教に見られます。
皆優秀な方々なのに、一度教授の機嫌を損ねると、どうでもよいような取り巻きの中から媚を売る人が、昇進して行きます。
患者からは信頼を寄せられている近藤医師も、学内では遂に四面楚歌のまま大学を去る事になりますが、同時に「世界中から最新の情報を得られる大学病院の図書館」も自由に利用出来なくなるでしょうから、来年3月退職後医師を廃業、妻とのんびり暮らす予定だったそうです。ところが2012年10月「乳房温存療法のパイオニアとして、抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、がん治療に先駆的な啓蒙活動を行ってきた実績」で菊池寛賞を受賞してから、廃業が出来なくなりました。それで来春からは「セカンドオピニオン専門外来」を、渋谷の賃貸マンションで始める事になりました。
この受賞内容にあるような先駆的な治療法の勧めは、「慶応の外科だけでなく、日本中の乳がんの外科医を相手とする言論闘争である」「一種の戦争」というような事態に至り、今日も基本的に変わっていません。記事にはこうあります。
「乳がん治療の権威として知られる外科の教授は、近藤の担当教授を通じて謝罪を要求した。近藤が突っぱねると、今度は担当教授が出向を促した。他科から患者がぴたりと回ってこなくなった。廊下ですれ違う医師は避けて通る。露骨にいやな顔をする者もいた」。
よくこれで辞めないで済んだと感心しますが、それには雑用に追われない中、研究の時間がたっぷりとれ、研究者の中でも、一番医学論文を読んでいると思う」という自負心もあったからでしょう。相当な理論武装をしていたので、批判する医師たちに正しく反論する構えは出来ていました。従ってまともな反論を出来る医師はいませんでした。
同じように原子力ムラの専門家たちに対して、私たちも勉強を重ねて来ました。これは素人の反乱です。しかしそれを通し、彼ら専門家たちが「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです」(マタイ23:27)とイエスが非難されたような人々である事がばれてしまいました。さらにイエスは「医者よ。自分を直せ」(ルカ4:23)と言われました。
患者のいのちと生活の質を徹底的に追及すべき医者がこの有様です。がんはこれからもどんどん増えて行くでしょう。抗がん剤の治療で迷っている方は、一度セカンドオピニオンを近藤医師に尋ねて見るのも賢明だと思います。