ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

歴史の事は歴史家に任せ、州議会は書くな

 「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」(ペテロ第二1:21)。
 2014年2月3日のワシントンポストサイトでは、「ヴァージニア州の教科書の政略」といった題で、編集委員会による社説を掲載しました。
 社説はまずカリフォルニア州で、「アルメニア虐殺」と呼ばれる、オスマントルコ帝国によるものとされたアルメニア人の虐殺(主として1915年のもの)を、諸々の出版物で強調するよう訴えた訴訟が、下院議会を通過した事を、アルメニア系圧力団体が祝っているのを述べています。ウイキペデイアによりますと、トルコ政府はそれを認めておらず、歴史上の争点となっていました。
 次いで社説はヴァージニア州に移り、韓国人が日本人より数の上で上回っている事から、前者が最近「日本海」を「東海」と呼ぶべきである事を主張し、州教育省に対して「東海」と書いた教科書を買うよう指導するよう求め、議会での決議に取り組んでいる事を報じています。(*州議会は2月6日「日本海」と「東海」を併記する法案を可決しました)。
 いずれの場合でも州議会が、歴史の争点になっている問題に深く関与すべきだという事が焦点となっています。
 それに対してワシントンポスト社説では、「立法府の議員ではなく、歴史家が歴史書を書くべきである」と主張し、州議会は高校の歴史教科書を書くべき最適の場ではないだろうという事を示しました。公教育で教える歴史は、歴史家の最上の判断に基づくものであるべきだと付け足しています。
 アルメニア系米国人とトルコ系米国人の多寡で、また韓国人と日本人の多寡で、歴史上の事柄を勝手に変えてはならないのです。
 社説は最後に、「しかし私たちは、選ばれた役人たちが教科書の地図を描いたり、教案を書いたりする事を懸念しています。それが進化、気候の変化、アルメニア、日本と韓国の間の海の事についてであっても同じです」と結んでいます。
 日本では歴史書執筆を巡り、長い論争がありました。1955年に出版された岩波新書『昭和史』では、亀井勝一郎が、そこには人間が描かれていないと批判しましたし、高等学校日本史教科書『新日本史 』(三省堂)を巡る教科書検定で、執筆者の一人家永三郎氏が異議を唱え、裁判に訴えた事件もありました。
 そして今、安倍内閣自民党議員による国定教科書作成の方向で策定をしています。戦後最大の危機的状況です。
 私はワシントンポスト社説の主張を銘記し、歴史教科書は歴史の専門家が書くべき事を、今後強く訴え続けなければならないと考えます。