ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

自然の中で過ごす事が人の魂を癒す7つの理由

 「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように』」(創世1:26)
 *支配するー統治する、管理する
 2014年7月21日のハフポストサイトに、上記の題の記事がありました。
 私たち団塊の世代以上は、戦後まだ高度成長が始まる前、野山を歩き、森林を探索し、海や川で泳ぎ、まだ残っていた自然に親しみました。
 ところが2014年8月3日の東京新聞社説を見ますと、2010年の「森林率」では、西欧で森の都とのイメージが強いドイツの31・8%に対して、日本は何と68・5%で、フィンランド、スエーデンに次いで世界第3位となっています(森林・林業学習館サイトより。画像も)。

 この森林率を受け、東京新聞の記者は、日本は森と共存する文明を築いてきたのではないかと言っています。それは縄文時代にまで遡ると梅原猛氏は主張します。
 今私は千葉県佐原市の或る森林で樹木を伐採した所の遺跡を掘っています。山砂採掘拡張工事に伴うものですが、森と共存して来た縄文人からすれば、何とも皮肉で罪深い事かも知れません。そしておそらくはこの森にも福島原発放射能プルームは届いている筈です。2011年3月11日以来、放射能汚染で、日本の森林はもはや人が踏み込めない程に変容してしまいました。「有効森林率」(私の造語、安心して踏み込める森林)は、20%もあるかどうかです。京大小出助教なら0%と言うかも。
 さてその年々減って行き、汚染もある自然の中ではありますが、そこで過ごしてみる事が、いかに大切で、人の魂を癒すものであるかを知っているアレクサ・コルテス氏は、その7つの理由を挙げています。以下意訳です。
1社会的な影響はありません。もし私たちが突然周囲に自然以外の何物もない森林に置かれたら、社会的影響から遮断されます。ですから自由に人生を純粋な形で熟考する事が出来ます。

2私たちが無限でない事を思い起こさせます。そこでは植物や動物が生息し死んで、次の世代に座を譲ります。人は全く異なる生活形態を持った者ですが、その規則に対して例外ではありません。
3自然は心を落ち着かせる効果を持っています。
4私たちの地球についてもっともっと知るべき事があるのを悟ります。
5自然は私たちに生態系の中で調和して生きる事の大切さを教えてくれます。
6自然は十分遠く離れた所からなら、万物が理想的に見える事を想起させます。砂浜で波が砕けると、遠くから眺めていると美しく見えるでしょう。でもあの小さなカニがその中で動けなくなってしまったら、私たちはどう思うでしょう?私たちもまた、遠くからは幸せそうに見える人でも、近くで見ると、その人の心の痛みを決して知る事が出来ません。
7自然は混沌が人生の一部である事を思い出させます。自然が大変美しいように見えても、それがいかなる時でも暴風が起こる事を思い出させます。混沌は不可避です。また人生は途切れなく常にそれなりにうまくゆくとは限りません。そのごたごたの部分は、いつも肯定的な解決があるとは限らないのです。でもその嵐の終わりに虹を見つけるチャンスはあります。
 今見えている日本のあらゆる自然は、もはやもぬけの殻であり、人の魂が癒される場ではなくなりました。東電の責任は幾ら金目のものを積み上げても、大き過ぎて果たす事が出来ません。*このブログ、過去の記事へのnankaiさんのコメントから教唆を得ました。感謝。