ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ルポイチエフ 福島第一原発レベル7の現場(布施祐仁著)を読んで

 「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています」(ピレモン1:11)。
 上記の本を図書館で借りて読みました。原発作業員の現場からの報告は、東京新聞連載の「ふくしま作業員日誌」で見る事が出来ますが、この本の著者布施氏はジャーナリストで、多岐にわたる取材や調査を行っています。

 この本は平和・協同ジャーナリスト基金賞というものを受賞しています。詳しくはhttp://www.pcjf.net/18.htmlから。画像もそのサイトから借用させて頂きました。
 冒頭の決死隊から被ばく作業の章まで、原発で働いている方々の被ばく量が相当なものである事を思い知らされ、圧倒されてしまいます。特に3月24日、3号機タービン建屋地下1階で、深さ15センチもある高濃度汚染水に短靴で浸かった作業員は、放医研の検査で推定被ばく量2〜6シーベルトも浴びたという記事を覚えている方もいると思います。この作業員のその後は不明です。ほぼ致死量の為、既に亡くなられたという推定記事もネットのあるサイトにありました。
 しかしこの本で最も詳しく、実態が赤裸々になったのは、後半に見られるピンハネ原発労働ヒエラルキーの章でしょう。

 東京電力原発の諸作業で、原則三次下請けまでしか認めていません。左画面。同書から。
 しかし実際には複雑な下請け重層構造が出来ています。まず元請としての日立、東芝東京エネシス等、そしてその下で監督する立場の一次下請けとして、太平電業等(大飯原発偽装請負に関与、営業停止処分歴あり)、そして地元の作業班長・親方としての第二次下請け、地元の作業員として第三次下請けが存在します。東電の責任はそこまでで、あとは第四〜第七次下請けなどが入り乱れて入って来ます。そこに暴力団も絡む偽装請負というものが存在します。それは「工事を請け負った業者が労働者の派遣のみを行ない、現場での指揮命令を発注側の社員がしている状態を指す」との事で、業界では違法だそうです。しかし原発ではそれは「当たり前」になっています。暴力団を完全に取り締まると、原発に労働者がいなくなるのです。東電は元請に対して、通常単価に危険手当を上乗せして支払っている事を認めているものの、下に下がるほどにピンハネ行為が行われている事については、末端の作業員に支払うよう形ばかりの要請はしても、後は知らんぷりという、極めて無責任な対処しかしていません。暴力団無くして原発なしというのが実態です。
 今に至っても、クリーンな原発を謳っている東電は、限りなく「ダーティ」な企業なのです。
 ひとたび事故が起きて、作業員が怪我をしても、東電や元請の東芝など、絶対労災を認めようとせず、ひた隠しにしているようです。その卑劣さに対して、直接・間接の原因で死んでいった作業員の家族は、さぞ無念な思いをしている事でしょう。
 著者布施氏は、「この取材で最も耳にしてきた言葉は『使い捨て』であった…下請け労働者を被曝労働で『使い捨て』にすることで成り立ってきた原発というシステム。もしかしたら、そのなれの果てが今回の原発事故だったのかもしれない」と総括しています。
 最後にこの原発作業員と首相官邸前のデモとの事が言及されています。
 80ミリシーベルト近い被ばくをした為、別の東電関連施設で働く20代の男性は、「これまで福島の原発でつくられた電気をさんざん使ってきた人たちが、福島県民やうちら原発作業員を置き去りにするような感じでデモをしているのは、何か違うんじゃないのかって思っていました。うちらは毎日、ミリ単位の放射線を浴びながら、寿命を削りながら作業しているわけです。正直、デモなんかしている暇があったら、こっちをもっと応援してくれよ、と言いたくなりました」と告白しています。重い問いかけです。しかしこの人も後に、「もはや福島と東京で“仲たがい”している場合じゃない。確かに温度差はあるけど、日本の中心である東京でデモをやることでみんなが注目するし、そうやって事故を風化させずに問題提起を続けていくことの意味は大きいと考えるようになりました」と心境の変化を述べています。富岡町で家を追われ、水戸に避難している木田節子さんも、その後官邸前のデモに加わっています。そして息子を含めた原発作業員たちの不満に対して、「悔しかったら、官邸前に来てマイクで本当のことをしゃべってみろ…あんたたちが黙っていることが、電力会社の経営者や政治家を腐らせているんだよ」と説いています。布施氏は「その責任は、これまでこういう構造やシステムに深い関心を寄せることのないまま、結果的にそれを『黙認』してきた我々電力消費者にもあるのだ」と述べていますが、それこそ69年闘争を体験して来た私たちの世代の自己否定にもつながる鋭い論理です。この本が賞を受けたのも、けだし当然の事でしょう。