ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

近代建築の父アントニン・レーモンドの功罪

 「二心の人たち。心を清くしなさい」(ヤコブ4:8)。
 2015年11月7日の東京新聞に「近代建築の父の罪」という見出しの記事がありました。
 この父とはチェコから米国に渡ったアントニン・レーモンドという人です。

1888年チェコで生まれた彼は、建築家として優れた業績を幾つか残しました。1919年に新橋に現存する帝国ホテル建設の為来日して、そのまま留まり、モダニズム建築を多く手がけました。
 私がまだ若い頃、銀座の老舗書店である教文館には時々足を運び、キリスト教関係の本を買ったり、聖書展などを見に行ったりしましたが、その建物が彼の作品と知ったのは、今度が初めてです。改めて調べてみますと、どうも教会とかその関係の施設を、わりあい多く作っている事が分かりました。
 それで彼が信徒であったのかどうかをまず調べてみましたが、米国関係のサイトでも見つかりません。たぶんそうなんだろうと思っていたところ、http://urbangeardesign.eshizuoka.jp/e1145905.htmlにある建築家(信徒)の文章に、「彼が熱心なクリスチャンだった」と書かれていました。根拠は分かりませんが、レーモンドを敬愛する方として、何らかの専門文献で探し当てたのだろうと推測します。

 そこでもう東京に戻る機会はないと思い、11月12日に思い切って銀座界隈にある三つの建築物を訪ねて来ました。
 最初は新橋にある帝国ホテルです。名前が気に入らないけれどそれは別として、彼は帝国ホテル設計施工の助手として、フランク・ロイド・ライトと共に来日し、その建設に寄与したのが日本での建築家としての第一歩でした。ちなみにこのホテルは慶応大学出身者たちが維持している専用のルームがあり、私の高校から行ったT君がそこに所属していて、第一回の高校1年クラス会をその部屋で行いました。

 次は銀座三越の反対側にある教文館です。1933年に建てられた九階建てのビルは戦火に耐え、今も堂々と残っています。私は神学生の時、このキリスト教専門書を扱っている書店に何度か行きましたし、昔からの珍しい聖書の展示会もそこで開かれたのを覚えています。

 三番目は単独設計ではないかれど、日野原重明先生が理事長をしている築地の聖路加国際病院です。今回私はこの病院を初めて訪問しました。写真にあるレーモンド設計の建物は、旧館として現在は使われていませんが、いかにもキリスト教関係の病院としてふさわしいものでした。ブログ仲間の中には新館を利用された方もおられるのではないかと思います。
 それでこのブログの核心に入りたいと思います。東京新聞によると、レーモンドは日本の戦前の建物や街を知悉していたので、日米開戦直前に帰国した際、米軍からユタ州の砂漠で日本の木造家屋の模型を設計する依頼を受けました。その目的は燃えやすい東京下町の密集した木造家屋を、いかに効果的に焼夷弾で空襲し壊滅させるかを実験する為でした。
 これは功を奏し、特に1945年3月10日の大空襲で立証された形になりました。10万人もの人々がその時死んだと言われています。
 レーモンドは戦後日本に来て、その変わり果てた姿を見て涙を流したそうです。
 そのように戦争は人間を狂気にさせ、知らないうちに加害者にしてしまうのです。いかなる善良な人間でも、その心に悪は潜んでいます。信徒も同じで、救われた罪人に過ぎません。「もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです」(ローマ7:20,21)と使徒パウロは告白しました。
 これから日本は戦争を行える国になろうとしています。レーモンドは日本家屋の模型の設計を拒否する事も出来たはずです。しかし彼はそうしませんでした。戦争を最も早く終結させる為に、米軍に協力しました。私たちもよほどの覚悟で、この戦争拒否を貫かない限り、時流に流される「風にそよぐ葦」となってしまうでしょう。