ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『放射能汚染地図』の今』(2014年2月27日刊行)を書いた木村真三氏

 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです』(マタイ7:1〜2)。

 獨協医科大学木村真三博士については、ネットを見ると評価が分かれるようです。2012年の時点では、年間5ミリシーベルトなら何とか暮らして行けると述べていますが、それをもって御用学者と裁く人々は多いです。ですから題の本についても、極めて注意深く読みました。するとどうも批判する人々は重箱の隅をつついているような気がしてなりません。イエス・キリストは人が人を安易に裁く事を戒めています。
 私はそんな事より、木村氏がどんな事を実証的に研究したかを重視します。この本ではその白眉は第二章にあると考えました。

 そこではいわき市北西端にある川前町大字下桶売字志田名(しだみょう)で、住民による放射能定点観測が行われていた事が記されています。木村氏は既に二本松でメッシュによる緻密な放射線量測定地図を作成していましたが、この地区の高濃度汚染に気付き、住民による調査に協力する形で参加しました。
 志田名は原発中心から約28キロで、人口140人の小集落です。
 原発事故から約2ヶ月後に空間線量を測定した木村氏は、その地区に毎時10マイクロシーベルトを超えるホットスポットが幾つもある事を知りました。しかしいわき市全体では比較的線量が低かった事もあり、この地区の屋内退避地区の指定は、既に事故から1ヶ月後に早々と解除されてしまいました。若者と子どものいる世帯だけ、念の為安全とされる所に避難させられました。残ったのは高齢者だけでした。情報が途絶え、補償が出るのかどうかも分かりません。皆が不安になりました。
 そこで住民の一人である大越キヨ子さんは、将来を見越し農地の作付けをしない事を決めたこの地区で、何と中国製の放射線測定器を自分で購入し、近辺の線量を測定し始めました。
 すると当時計画的避難地域に指定されていた市町村と同じ位の放射能がある事が分かり、同じく住民の酒井忠平氏は「これはえれえことだ」と、飛び上がらんばかりにびっくりしたそうです。残った住民たちは大騒ぎになり、国や県が動かないなら、自分たちで情報を集め、定点観測をしようという事になりました。とにかく自発的に毎日調べる事になりました。
 この動きに重い腰を上げた県も土壌調査に乗り出しましたが、結果は住民たちの測定値より相当低い値となりました。県はデータを3倍すると、住民の測定値に近くなるという言い分で、検査方法が違っていたというより、作付けを自粛していた事を考慮に入れず間違った結果を出したのです。
 これには住民も怒り出します。その時木村氏は『放射能汚染地図」の作成を提言しました。住民たちは納得し、皆一致して一から勉強を始め、空間線量率を、農地の50メートルメッシュで緻密に測定しました。田も畑も残らず測定しました。勿論そのあたりのノウハウは木村氏が教えた事でしょう。
 「こうして完成したのが、世界で初めての、住民の、住民による、住民のための放射能汚染地図であった」。この本の巻頭にそれが載っていますが、色分けされたその地図は見事なものです。
 しかもです。現地の地形などに詳しくない木村氏は、住民からこの地図で読み取った事を教えてもらいます。志田名の集会所の上下では色が違います。それは標高の高い上側、即ち北側では雪が多く、標高の低い下は雨になるという事でした。
 この雪の積もる場所は、「雨の降った場所よりも放射能汚染の度合いが大きくなるのである」。
 3月15日の放射能雲が襲来した時、上の地区の住民の日記では雪、下では雨と記されていました。
 こういう事は、机上の空論をしがちな学者や、霞が関の官僚たちには分かりません。長くその土地で暮らして来た住民たちの経験や知恵、土地勘、気象条件などが相俟って、彼らは「科学的思考を広め、深めてゆく」「こうしたプロセスこそ…『市民科学者』への道であると、そのとき実感したのである」。木村氏自身も測定に参加していますが、とかく功績を自分のものにしたい「学者」と異なり、住民の知恵・力を高く評価しました。その後行政が動いて、この地区での本格的な除染作業が始まったのは、言うまでもありません。そこでの仮置き場の青いフレコンバックの量は膨大で、今後の大きな課題です。しかし志田名ではそこで生きてゆくしかないので、この仮置き場一つとっても絶対に手を緩めるような事はしていません。もっと暖かくなったら訪問してみようと思っています。 
 他の章の付箋をつけた所も読み直しましたが、その限りでは、木村氏は行政や原子力委員会の側には立っていないと確信しました。
 繰り返しますが、人が人を安易に裁くことは危険です。神のみ真実を知っておられるからです。