ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『象は忘れない』(柳広司著)を読んで

 「ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい」(申命4:9)
 題の「象は忘れない」は英語の諺で、「象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない」という意味だそうです。

 著者の柳氏はウイキによりますと、小説家、推理作家とあります。三重県生まれの人で、特に原発とは深い関わりはなさそうです。しかし巻末で3・11以後目にした本がずらりと並んでおり、得意の推理力を働かせ、私のような乏しい想像力で気付かなかった点を小説で見事に仕立てています。
 5つの短編から成り、「道成寺」「黒塚」「卒都婆小町」「善知鳥」「俊寛」という題がつけられています。1篇を除き、オール讀物に連載されていました。
 ●まず「道成寺」ですが、原発中心近いO町(大熊町でしょう)出身の純平が主人公です。彼は「電力会社、すげー」ともろに礼賛する人でした、しかし地元のスナックで知り合った美奈子は、付き合って間もなくインテリのよそ者と分かりました。彼女は「放射能とか、本当に大丈夫なの?」と尋ねますが、それは「地元民ならけっして口にしない言葉だ」とありました。
 私はこの言葉には本当にぎくっとしました。復興途上に福島で、よそ者の私が軽々しく口にしないてはいけない言葉なのかと思ったからです。結局この二人は話が噛み合わず美奈子は去ってゆきます。その2週間後原発事故が現実となり、3号機の爆発で気を失った純平は病院で気がつきました。そして何が現実なのか虚構なのか分からなくなりました。ただ「美奈子の姿だけがやけにリアルに感じられるばかりだ…」。こうした恋人同士や家族のそれぞれとの齟齬の例は、これからも枚挙に暇がない程になるでしょう。原発の悲劇はまだまだ続きます。
 ●第二話「黒塚」。二人の友人阿佐利慶祐と田辺陽一郎との対話が主体です。前者の学校時代の成績はビリに近く、後者はトップクラス、大学院まで進み物理を専攻していましたが、中退してしまいます。慶祐は原発爆発をその目で見たので、これから放射能の影響でどうなるのか、陽一郎に尋ねます。しかし彼も確たる事は分かりません。放射線の大量被ばくは遺伝子DNAを傷つけます。大量に被ばくすれば、癌化するか細胞が死滅します。でもそれも個人差があって分かりません。しかし二人は原発から30キロ以上離れた所に逃げました。陽一郎は被ばく線量は距離に反比例すると堅く信じていたのに、そこには完全仕様の防護服とガスマスクの男たちがいました。「なんか変だ」。陽一郎は線量計を持ってワゴン車の外に出ます。振り切れる程の線量計の値。冷静な彼の顔色が変わります。逃げよう、逃げよう、少しでも遠くに。しかし「陽一郎は間違っていた。被曝線量は単純に距離に反比例するわけではない」。放射能のプルーム(雲)は、二人が逃げる北西方向に向かって進んでいました。結局Fつまり双葉や飯館は避難指示区域になりました。二人の恐怖と狼狽ぶりは小説だからリアルです。しかしそこも除染、避難指示解除でやがて忘れさられようとしているのでしょうか?
 ●第三話「卒都婆小町」。相馬双葉漁協と思われる所で暮らしていた高野信行・靖子夫婦とその子美海の悲劇。あっと思わせる結果でしたが、さもありなんという話です。夫は誇らしげに「福島の海は日本一うまい魚がとれる海だ」と言っていました。しかし原発はその海を全くだめにしてしまいました。立ち入り禁止で仮設住宅に移り、その後試験操業で順調に行くかと思われましたが、途方もない線量の魚がひっかかり、もはや漁業は続けられなくなりました。信行はその時からおかしくなり、無言の生活が続き、ある日靖子に暴力を振るいました。周囲の勧めで、靖子と娘は東京に出ます。ちょうどその頃東京では五輪開催が決まり、祝賀ムード一色。東京は明るく輝き、福島の悲劇については「まるで何ごともなかったかのようだ」。4年後もきっとそのままでしょう。幾ら復興復興と声高に宣伝しても、五輪の熱狂にかき消されてしまう筈です。「原発事故さえなければ、こんなことにならずにすんだのだ」。
 原発放射能の勉強会に出席した靖子は、全くその専門用語が分かりません。さらにに福島から出て来た人という事で特別扱いでした。その温度差は歴然。靖子は「頑張って勉強会に参加してきたが、どこまでいっても本当のことなどわからない」。私も現時点では靖子と同じかも知れません。
 人気のない公園のベンチで泣いている靖子に声をかけたのは、「桜なでしこ会」所属の中年女性。主たる目的は「美しい国日本を取り戻すこと」、つまり日本に寄生し、不当な利益を貪る不逞外国人を断固排除することでした。「チョーセンジンは日本からデテイケー」。「もう勉強会には出ない。あの人たちにとって、靖子と美海は所詮よそ者だった。福島から出て来た田舎者。放射能が降り注ぐなか洗濯物を外に干し、子供が食べる物の産地に気を使わない愚か者。そんなふうに思われていた」からです。「これからは美海を連れてこのお散歩(*デモ)に来るんだ。この人たちのあいだでなら、自分たちは差別されることも、馬鹿にされることもない」。ぞっとする結末でした。でも現実にはこの福島県人の差別は、東京では隠微に続くでしょう。
 ●第四話「善知鳥」。以前ブログに書いたトモダチ作戦参加のロナルド・レーガン号の奇妙な航行に、柳氏は鋭い推測を加えていました。ドクターから質問を受けるジョージ・ハンター曹長の話です。海軍指定のクリニックでのインタビューなので、曹長は少しずつ記憶を呼び覚ましてゆきます。その結末は割愛し、この空母の驚くべき役割について柳氏の推測を追うと、当時原発から八十キロ圏内に立ち入らないのが米政府の方針でした。従ってこの空母は直ぐ福島を離れ、トモダチ作戦として宮城や岩手のほうで瓦礫除去などを行っていた…。これが私たちの認識でした。しかし仮想ですが、この空母には極秘の任務がありました。原発の直ぐ間近まで接近していたのです。曹長はそれを自分の目で確かめました。この作戦はゼロ作戦と呼ばれていました。「ゼロは爆心を意味する。作戦の目的は、放射能汚染区域での活動訓練ー 要するに、核兵器が使用された戦場での実地訓練だ」。 そして完全防御体制で小型揚陸艇に乗り込んだ複数の乗員が、原発付近に上陸、土壌サンプルを採取し、すぐ80キロ圏外に脱出しました。勿論曹長は恐怖で一杯でした。私はこれは大いにあり得る事だと思いました。象は忘れないという事で、私もこの推理を覚えておこうと思いました。
 ●第五話「俊寛」。原発事故後仮設住宅住まいを余儀なくされた人々の話が主体です。いまだ仮設が解消されない中、私たちも口にするであろうリアルな話です。場面は佐藤先生の仮設での孤独死から始まります。一般に震災関連死と呼ばれています。しかしツネはこう反発します。「他人の人生むちゃくちゃにしておいて、そんなわけのわからない、適当な、曖昧な言葉でごまかされてたまるか。みんな、原発事故に殺されたんだ…違うとは言わさねえ」。除染後の古里帰還では、ツネは「避難指示解除っていうのは、よくよくききゃ、その後は慰謝料も避難支援も打ち切りっていう意味だっていうじゃねえか。“仮設住宅は出ていただきます。こちらで住み続ける事を希望される方はご自身で住まいをお借りください。家賃についてはご自分でお支払いください”だとよ。けっ、収入がないんだ。払えるかよ」と吼えます。俊寛は「いまも福島以外の日本のどこでも年間一ミリシーベルトが上限のはずだ。同じ日本国民でありながら、福島県身だけが別の基準(*年間二十ミリーシーベルト)を受け入れて生活しろということか?」「避難指示解除の時期の違いや賠償金といったもので、(*親しかった人との仲が)あっさり壊されてしまう…許されていいのか?」と自問します。さらに思考は続きます。
 「仮設住宅で暮らす人たちと、仮設住宅を受け入れた地元の人たちとの軋轢が最近問題になっていた」。いわき市はその典型です。さらに「孤立を生む軋轢は、避難者同士の間にも発生していた…避難者の間に、原発立地自治体出身者への非難とやっかみが生まれた…国や電力会社は被災者を地元に帰したい、帰ってもらいたいのだ。原発事故などなかったことにするために」。狡猾な分断作戦です。
 柳氏はこうした人々の偽らざる気持ちを、この小説で見事に代弁したと言えるでしょう。一読のほどを。