ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

福島第一原発2号機の燃料デブリ

 「あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる」(申命28:66)
 2017年2月3日の福島民報記事を見て飛び上がったのは、私だけではないでしょう。

 福島第一原発2号機の事覚えているでしょうか?1,3,4号機と比較してみると、水素爆発があったとされる1,3号機の間にあって、外見では一番被害が少ないように見えました。
 映像では建屋の窓から放射性物質を大量に含む蒸気が漏れているのが見えました。
 あれから6年近くなる2月3日、東電は撮影した格納容器内の画像分析から、空間放射線量が推定毎時最大530シーベルトである事を発表しました。飛び上がった理由は桁違いの為です。民報が専門家に聞いても、「想像もできない高線量」だと驚きの声が上がったほどです。なぜならそれを被ばくした場合、数十秒で即死に至るからです。
 しかしそれから1週間もしない2月9日の民報では、故障したロボットのデータ解析から、さらに高い650シーベルトが推測された事を報じています。
 3月13日の論説を見ると、東電の見解として、「通常の原発では、原子炉停止から1日後の燃料集合体の表面線量は毎時数万シーベルト、使用済み核燃料の5年冷却後の表面線量は毎時数百シーベルトになる」とありました。これはあくまで「通常の原発」の話です。私たちはこの6年間、安全基準は年間1ミリシーベルト、毎時0.23マイクロシーベルトとかの値に拘泥していて、稼動原発における炉停止時の毎時数万シーベルトなどという数値には、目が向きませんでした。これほどのシーベルト数に対する想像力を欠いていたと反省します。
 私はいつも東海村JCOにおける臨界事故を思い出しています。当時私の家からそう離れていませんでした。亡くなった大内さんの推定被ばく量は20シーベルト、篠原さんはその半分の6〜10シーベルトでしたが、致死量である事に変わりありません。この二人の悲惨な死が頭にこびりついています。
 故に650シーベルトなどというと、もはや人間との関わりでは想像力が働かない。ミリシーベルトの域内でしかイメージ出来ていなかったからです。だから原発は怖い。こんなもの作るべきではなかったのです。
 さらにダメージは大きくなる可能性があります。3月12日の民報では、東海村原子力機構施設で研究している人の話を載せています。ちまたでは一刻も早くこのデブリを取り出さなければならないという大合唱が起きていますが、この研究グループリーダーの方は、「デブリに気泡が多く存在すれば取り出しは容易な一方、気泡中に水があると核燃料が再臨界する可能性もゼロではなく、対策の検討が必要になる」と述べたそうです。
 元京大助教の小出氏も「再臨界が完全にないとは断言できません」と言っていました。
 東電としては2号機の内部状況をなんとしてもロボットで把握し、2021年から取り出しを開始したいと思っています。でも現状は累積1000シーベルトまでの線量しか耐えられないロボット、その破損が650シーベルト以上を浴びての事なら、その新たな開発はまだまだ先でしょう。2021年はあくまで「予定」です。2022年にずれ込む事もあり得ます。それは東京五輪の年です。デブリに想定外の気泡があったら、再臨界がおきるかも知れません。そしてもし1,3号機のように爆発したら、2号機からの致死量に達する放射能は首都圏にも届き、五輪どころの話ではありません。皆西のほうへ逃げなければなりません。いや外国かも。競技どころか生死の問題となるからです。こんな想定、嘘であってほしいです。
 政府は原発が制御下にあり、帰還帰還と急かせていますが、再臨界より五輪のほうが大切ですか。県知事も苦言は呈しても、身を挺して政府主導の帰還、復興策に反対しているように見えません。拙速はこの上なく危険。急いては事を仕損じる、ぜひその事を銘記して欲しいと思います。