ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

タルマーリーの出いすみ記の行間を読む

 「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」(創世2:24)。
 2月3日に「タルマーリーの出いすみ記」を公開しました。一家がいすみ市を出るきっかけとなったのは、原発事故の為でしたが、私が涙した箇所は二人の子どもを抱える夫婦の、いすみに留まるかどうかを巡る葛藤の場面でした。
 そこは大変短い箇所で、想像力をもって行間を読みました。

 今度その為に格好の文学作品を読み終えました。金原ひとみさんの『持たざる者』です。
 金原さんは『蛇にピアス』という作品で芥川賞を受賞していますが、その後どうなったか分かりませんでした。ネットで検索し、今はフランスに夫と二女で暮らしているようです。
 その移住の決断は3・11東電福島第一原発の事故でなされました。まず岡山の父親の実家に移り、その後パリに移住しました。
 私はこの作品を読んで、放射能汚染を恐れた夫婦の認識の食い違いと離婚を、実によく描写していると思いました。
 するとタルマーリーの渡邊さん夫妻の岡山への移住を巡る激しいやりとりが、行間に浮かび出て来るような作品である事が分かりました。と言っても最初の「Shu」の箇所だけ共鳴し、あとの箇所は文学作品としてはよくある場面が続き、結婚観については聖書的でもないので取り上げません。一方渡邊さん夫妻は夫婦一体のものとして、理想的な生活を送っているので、皆様感動されたのではないかと思います。
 第一部「Shu」はほとんど付箋だらけです。転勤でフランスに行った千鶴と主人公修人との対話から入ります。放射能の為虚無的になっている修人が携帯メールを見て、既婚で一時帰国する千鶴に会ってみたいと思い、それが実現しました。
 その時修人は「僕が離婚したのは、放射能の事が大きかったんだよ」と告白し、その内容を詳しく話し出します。妻の名は香奈、幸福の絶頂期に娘が生まれました。しかし香奈は育児に疲れており、その時に震災が起こりました。
 子どもの将来を思い、目に見えない放射能に極めて敏感になり、病的なほど神経質になっている修人は、香奈に「遥を連れて西に行ってくれ」と切り出します。タルマーリーの渡邊さんと同じ問いです。
 しかしその後が違いました。香奈は慣れない育児と寝不足で精神的に参っており、放射能どころではありません。知らない町のホテルに何日も泊まって、事故が収束するのを待てという修人の主張には、ひどく反発します。修人は東京に残り仕事を続けるからです。ここに夫婦一体のものという渡邊夫妻との大きな違いがあり、修人は自己中心、一緒に西に逃げ育児の負担も分かち合うという発想がありません。しかし全くその意思が伝わらない事を悟った修人は、「この人だ、と結婚を決めた香奈は居なくなってしまった」と思い始めます。けれども香奈の父が東京は大丈夫だと助言した事もあり、とりあえず東京に三人で留まる事にしました。
 しかし遂に放射能が東京の浄水場までやって来たので、修人は幼い子どもの将来をますます憂い、この食べものは子どもに危険、あれは大丈夫だからと、口うるさく注意するようになりました。全く取り合わない香奈は、次第に修人に対する憎しみと軽蔑を募らせて行きました。
 修人はつぶやきます。「東京で一万人の子供が死にました。それをほら大した事なかったと言うのか、大変な事態だと言うのか。それはほぼ個人の裁量だ。百人死にましただったら、基本的に大丈夫でしたの範囲に入るかもしれない。でも放射能の影響で死んだと断定する根拠が明確になっていない以上、過剰に気にしてしまうのは当然の事じゃないだろうか、最悪の場合を想定するのが人間の性ではないだろうか。何故彼女は、それが分からない以上気にしても仕方ないと思うのだろう。香奈はおかしくないだろうか。いや、おかしいのは僕なのだろうか…」。二人で同じ世界を生きる事はもう不可能になりました。
 6年前目に見えない放射能に関する考え方の違いから離婚し、避難先も別々という夫婦が多くいました。独身の私も孫がいる私の親友も、修人のような思いを共有していました。
 6年経過し、だいぶ放射能は減衰しており、除染も盛んに行なわれていますが、その効果はどうでしょうか。やはり子どもを持つ親としては、原発周辺地にはあえて帰らない、今住んでいる所で仕事もあるから、古里への思いはあっても、もう仕方ないという気持ちでしょう。葛藤はその若い世代と老親の間に生じています。しかしそれも個人の裁量です。元気な親は子と離れ、住み慣れた地元に戻り、放射能を気にせず生きがいの農業を再開するでしょう。過疎化は進む一方です。目に見えないけれども恐ろしい放射能、目に見えないけれども、愛に満ち試練の中で救いの御手を伸べて下さる神…今後の12市町村を見つめてゆきたいと思います。