ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

最高の医者イエス・キリスト

 「すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。『なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。』そこで、イエスは答えて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』(ルカ5:30−32)
 世に「神童」と呼ばれた人々が居る。その定義として、「特定分野において驚異的な能力を発揮する人物、特に少年時代に並外れて優秀であった者に対しての尊称である」(ウイキより)。
 上記聖書における特定分野=医者を取り上げる。受験戦争において、なぜか偏差値の高い人は医学部を受けたがる。そこに合格するのが頭の良い証拠だと言わんばかりである。そのトップが東大医学部である。「悪魔的な魅力がある」そうだ。
 そこは幾ら努力しても、どうにもならない世界が広がっている。親の血筋がモノを言う、それに生活の心配が何も無く勉強出来る等々があるのかと思っていたが、最近ネットや本を見て、そればかりでない事を知った。
 東大医学部に入っても、そこは「出身高校」が幅を利かせるところなのだ。教授で多いのが灘高校開成高校筑波大学付属駒場高校筑波大学附属高校、麻布高校の順とネットにあった。灘高校を除くと、だいたい東京の高校が多く、地方の名門高校出身など相手にもされない。そして教授が推薦する助教授などのポストは、同じ高校出身者を選ぶ傾向があるそうだ。だからそこはねたみや軽蔑が渦巻く「罪人」の世界である。いまだ白い巨塔の世界なのだ。
 イエスが言われた「正しい人」は皮肉な表現で、実はパリサイ人・律法学者等々、当時の社会で権威を遺憾なく発揮した人々である。イエスの招きに応じない、がりがりの罪人で、庶民を見下していた。それは東大医学部教授にも、たぶんに当て嵌まる。
 医学部だから一応社会的貢献を口にする教授も学生もいる。しかし昔と違う。親が病気になってさんざ苦労したので、自分が医者になってそうした患者の為に尽くそう、救おうなんて「たたき上げ」の医者は、ここ東大に関してはほとんど無縁のようだ。出身校閥の世界は狭い。弱い患者を親身で診てくれる医者は、ほとんど育成されないのではないか?都心近くに住んでいた頃、東大病院に行くと殺されるという噂が絶えなかった。
 イエスは違う。世の卓越したユダヤ人医者にも優る、正しい世界一の医者である。なぜか?「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」(ピリピ2:6−9)とあるように、栄光を捨てて人と同じかたちをとり、罪人(病人)の救いの為に、徹底してへりくだられたからである。常に罪人目線であった。その生涯で神の栄光の為、世の医者に出来ない癒しという奇跡のわざを行いつつ、十字架の死にまで従われた。
 ちなみにこのイエスを十字架に渡したのは、ユダヤ人の嫉妬が絡んでいた。「ピラトは、彼らがねたみからエスを引き渡したことに気づいていたのである」(マタイ27:18)。ねたみでポストを善良な医者から退ける医学部教授も同じ。
 神はこのキリストを再び栄光の座に就けられた。キリストは今も神の右の座で、罪人の為の執り成しをしておられる。
 謙遜な学徒に高い地位を与えるというのは、この医者の世界ではまず無いだろう。世に豊かな癒しをする医者はいない。その点イエスは間違いなく世界一の医者である。