ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

古い自民党へ戻ろうとするのですか

 選挙戦で大勝した民主党、初めての政権でいろいろ苦労しているようです。
 斬新な政権公約マニフェスト)が掲げられ、私たちも期待を持って見守って来たわけですが、財源などの難事が生じて望んだ事が次々と反故にされています。
 また鳩山首相小沢幹事長の庶民と桁が違う使途不明金が発覚し、小沢氏はあわや逮捕寸前のところまで至りました。
 2月6日の朝日新聞ではその社説の中で、予算委員会での鳩山首相の言葉を引用しています。「古い政治の殻を破れ。新しい政治を起こそうじゃないか。国民の期待をいだいて、政権交代が行われた」。
 聖書でイエス様は「また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます」と言われました。この古い皮袋は勿論自民党に適用出来ます。新しい皮袋が民主党です。そして新しいぶどう酒が、民主党の新しい政策です。
 しかし朝日の社説は新年度の予算委員会での審議を批判し、「古い政治のにおいがした」と主張しています。
 私もそのにおいを嗅ぎました。確かに失望の念も抱いてはいます。
 しかしここは産みの苦しみどころ。誰でも何か経験のない新しい事をやろうとすれば、失敗はつきものです。しかもその成果がすぐに現われるべきなどと考える事でもないでしょう。長い時間の幅でおおらかに見守る必要もあるのではないですか。とにかく官僚の特権も、特殊法人への天下りも、大幅な制限や縮小が行われたのです。彼らが庶民と隔絶したエリート意識の塊を砕かれ、「公僕」としての役割を一歩でも前進させてゆくなら、拍手喝采というところではないですか。
 一方大敗した自民党の長が声を大にして政府を追及していますが、政権時代に自らの襟を正さないでいて、今さら何を言っているのですか。
 ローマ書2章1節に「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです」とありますが、まさに弁解の余地のない古い体質の人々が質問に立っても、「やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです」。自民党は政権時代に国民の付託した事を行わず、その徹底した自己批判もせずに相手をさばいても、馬耳東風として聞き流されるのは当然の事です(鳩山首相は人柄が良いので、誠実に答えていますが)。
 恐ろしいのはそうした論争を契機に、せっかく新しい門出をした民主党を見限り、古い政治に逆戻りする事です。
 出エジプトを果たしたイスラエルの民たちは、約束地に向かっているのに、荒野でしばしばつぶやき、虐げられていたエジプトに帰るほうがよほどましとつぶやきました。
 出エジプト17章3節「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか」。
 そのようにつぶやいた民は、荒野でことごとく死に絶えました。それを顧みる時、私たちは「つぶやき」ではなく、叱咤激励で民主党の古き部分を切り捨て、二度と再び悲惨な自民党政治に戻らないように監視するべきです。
 今貧困で苦しんでいる人々が多くいます。しかしその比率が特に自民党小泉政権から加速度的に増加した事を考えると、長い目でしかも一筋の希望を抱いて、ひたすら待ち続けようではありませんか。