ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

死刑を容認する人の割合増加と神の教え

 朝日新聞の2月7日号を見ますと、内閣府の昨年調査で、死刑を「やむを得ない」と容認する人の割合が、過去最高の85%となった事を記していました。
 そしてこの容認派に理由を尋ねたら、①犯罪被害者やその家族の気持ちがおさまらない、②凶悪犯罪は命で償うべきだ、③死刑制度を廃止すれば、凶悪犯罪が増える…という点が上位を占めたとの事です。
 このうち③については、現在死刑制度が存在しているにもかかわらず、殺人等の凶悪犯罪が減少して来ているという調査もあり、一概にそうとは言えない面もありそうです。
 しかしこの「減少」という統計結果も良く注意して眺めなければならないでしょう。というのは、統計では殺人者の検挙率や、作家で医者の海堂尊氏が言うように、死因不明者の司法解剖率がひどく低下している状況で、相当殺人による遺体が見逃されているかも知れない、といったことも加味して考えなければならないからです。
 統計が嘘をつくかもしれない事は、東北大で建築を専攻していながら、統計にもめっぽう強い後藤知智氏(現代若者論のブログを手がけています)の本を読んで、勉強させられました。例えば凶悪犯罪→若者による犯行の増加?といった単純な思考は凄く危ない事です。
 しかし2008年東京の秋葉原で起きた無差別殺傷事件では、加藤智大被告が死刑を望んでの犯行であった事なども影響して、内閣府の調査では死刑存続に対する高い支持比率となったのはあり得る事でしょう。
 また①については、現在愛する人の理不尽な死に対するグリーフ(悲しみ)・ケアも次第に各地で行われるようになって来ています。私の信じるキリスト教では、劇的に回心した被害者が、殺人者を赦すという場合もあります。傾聴と支え合いです。
 主イエス様はこう言われました。「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います』」。ここでイエス様は七度×七十=四百九十度=無限の赦しを勧めておられます。
 そこで最後に②ですが、既に旧約聖書の9章6節に「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから」というみことばがあります。律法が記されるようになってからは、申命19:21「あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足」というみことばもあります。これはイスラムの復讐の法ではなく、相手に傷をつけた箇所の償いを指しています。
 新約で見てみますと、イエス様は兄弟に向かって、「『ばか者」と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます』」(マタイ5:22)と言われました。これは旧約より一歩進んで、心の中で相手を「バカ」と軽蔑するような未信徒は、生きているうちに和解し、悔い改めないと、ゲヘナにおける永遠の火の刑罰を受ける事を指しています。
 今本のタイトルなどで簡単に「バカ」という言葉が飛び交っていますが、上記のイエス様のみことばを思い出し、そうした言葉を簡単に使わないよう心しておくべきです。
 従って死刑制度についてはキリスト教内部でも意見が分かれていますが、私としては聖書からそれが肯定されていると信じます。ただ方法としては残虐な感じの否めない絞首刑ではなく、薬物などによる安楽死を検討すべきだと思っています。
 もう一つ。獄中で信じた死刑囚は、その執行の瞬間に天に召されるという事も銘記しておいて下さい。