ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

旧約聖書の最古の写本と年代

 私は旧約聖書のヘブル語本文を調べる時、紀元1008年に作られたレニングラード写本を基に編集されたビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア(略してBHS、1977年に初出版)を使用しています。
 レニングラード写本は羊皮紙に書かれています。そしてそれには、もし無いと発音に困る母音符や多様なアクセント記号がつけられていて、学習が容易になっています。
 それがずっと最古の完全な写本として通用していましたが、1947年にイスラエル死海北西の都市クムランの洞窟で、そのヘブル語聖書写本の断片が見つかり、その実年代が紀元前2世紀〜紀元後1世紀頃の間とされていますから、およそ千年も遡った事になります。断片の内容はレニングラード写本とほとんど同じ正確さで、ユダヤ人筆記者たちがいかに優秀であったかが分かります。私もかつて東京で開かれた聖書の展示会でガラスの箱に収められたこの写本の一部を見る事が出来ました。力強い筆致で、この上なく重要なアドナーイ=主という言葉も明確に読み取る事が出来ました。
 その死海写本が完全なヘブル語聖書でなくても(エステル記が抜けています)、今や知られている最古の写本となりました。
 それから約2000年後の2008年、へブライ大学考古学研究所がエラという谷の要塞があった所で行った発掘で見つかった土器片に、何と古いヘブル語らしき幾つかの文字列が見つかったのです。
 2008年11月3日のサイエンス・デイリーのサイトで報じられている内容から、その土器片に書かれた古いヘブル語の文字の中には、「裁く人」「奴隷」「王」を表わす言葉があったそうです。
 そしてこの土器片が発見された場所で採取されたオリーブの種の放射性炭素年代測定では、およそ今から3000年前という結果が出ています。勿論この年代測定法は問題であって、正確な年代を出せない事は現在常識となっています。考古学者たちはそれを補正する方法を併用しています。それにしてもこの土器片の文字は死海写本からおよそ1000年遡ります。
 仮にこの年代測定値がほぼ正しいとすると、初代イスラエルの「王」はサウル、二代目が「ダビデ」であり、前者が王となったのは、紀元前およそ1025年、後者が全イスラエルを統治したのが、およそ紀元前1003年頃ですから、土器片の王は、サウルかダビデのどちらかになるでしょう。
 この要塞のあったエラの谷は、実際聖書のサムエル記第一17章に出て来ます。「サウルとイスラエル人は集まって、エラの谷に陣を敷き、ペリシテ人を迎え撃つため、戦いの備えをした」(17章2節)。
 この時有名なダビデはまだ王ではなく、サウル王に仕えるしもべでした。しかしこのエラの谷での戦いでは、ペリシテ人の巨人ゴリヤテと、まだ少年であったダビデがそれぞれの陣から対峙します。そしてダビデはこの巨人ゴリヤテに勝利し、その首を切り取りました。
 土器片の文字は写真では死海写本のような力強さはなく(土器である以上これは当然です)、学者たちの間でも論争があります。しかしそれがエラの要塞で見つかったという事は、相当重要な意義があるでしょう。その事がダビデとゴリヤテとの一対一の戦いを直ちに反映したものでないにせよ、「王国」があった事は間違いありません。
 聖書の記事が真実である事は、こうした考古学的調査からも裏づけられることになります。
 サイエンス・デイリーは2年前の記事で、私はそれに気付きませんでした。今それを知って嬉しいかぎりです。