ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

 安息日(=日曜)を休日として休む事

 予期されていた事とはいえ、高齢者になってから得た職業を失うのは改めて大変だと実感しました。
 毎日と言って良い程職安に通っていますが、どの職種でもOKで探しても見つかりません。いつも失望して重い足取りでとぼとぼ家に帰ります。
 なぜ見つからないのかいろいろ考えて見ました。昔はどうであったか分かりませんが、今はアルバイトとかパートの仕事は、ほとんどシフト制になっています。ですから土日又は日曜を休みにしていて、それ以外の日に募集する企業は、ほとんど無いといってよい程です。そうした企業は実は土日も営業していて、正社員がその日は休んでアルバイト・パートに委ねるという場合もあると思います。
 ところが私の場合、日曜日は安息日(=休日)であり、教会に通う大切な日であり、この日をないがしろにしては、主なる神の祝福を全く失ってしまうと確信しています。
 「また言われた。『安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です』」(マルコ2:27−28)。
 主イエス・キリストはそう宣言されました。日曜は人々の安息の為に設けられたのです。ここで「人の子」とはキリストの事です。
 ですからキリスト教信徒は日曜日を聖なる日として分かつ事になっており、原則礼拝を終えても各自の家で休養するのが原則です。それでシフト制により日曜の労働も課されるとなると、その求人票は諦めなければなりません。その為に大苦戦しているわけです。
 日本という国は「先進国」と言われながら、クリスチャン人口は異様なほど少なく、全体の0.1或いは0.01パーセント位だと言われています。ですから何のために日曜があるのか、全然分かっていません。ですからその日も平気で人々を働かせるのです。
 翻って唯一国全体(=イスラエル)がこの安息日イスラエルユダヤ教新約聖書を信じていないので、安息日は土曜となっています)を今も守っているそのイスラエルでも、ユダヤ教信徒の数は年々減ってはいると思います。しかしアラブ諸国に囲まれ、国の内部ではパレスチナ人との争いが絶えない状況でも、第二次世界大戦戦直後再建されて以来、イスラエルは主なる神によって祝福され、守られているのだと思います。勿論民族としての彼らの優秀さは言うまでもありません。この国の将来については聖書の中で預言されていますが、今はそれに触れません。しかしこの神の選びの民となったちっぽけな国でも、日本よりずっと豊かなのではないでしょうか。
 そうした事を考えると、日本という国の将来は「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」(マタイ5:45)というみことばがあるにせよ、やがて必ず没落するでしょう。日曜を聖別せず、ただひたすら「金、金、金」、お金を神とし儲ける事ばかり考え、この世界の行く末を支配しておられる真の神の事を考えないからです。
 というわけで、信徒としての私は就職出来ず苦しんでいますが、それもキリストの律法に忠実であろうとすれば当然の事です。出来る事と言えば、耐え忍びひたすら祈り求めるだけです。きっと主はその時を与えて下さるでしょう。