ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

くじが当たるのは幸運だからでしょうか

 今年のはじめの新聞では、「一獲千金を夢見ますか」というテーマで多くの人に質問した結果を、円グラフや棒グラフで示していました。
 すると夢見ている人はその中の75%、そうでない人の25%を圧倒していました。そして夢に向けて具体的に何をしているのか問うてみたところ、宝くじが次のクイズの3倍近くありました。
 日本経済が不況の現在、人々はお金が思うように入って来ない事をかこちながら、無駄かと思いつつ宝くじを売っている所に向かうのでしょうか。
 でもそうした人々が夢見ている額は案外低いところにあり、3千万から1億が25%、1千万〜3千万が23%を占め、1億とか3億の割合を上回っています。余談になりますが、あの府中での3億円強奪事件、誰も傷つけずに緻密な計画で良く成し遂げたと思った人は、意外に多かったのではないでしょうか。当時の3億円は相当な価値があったと思うので、自分だったらそれを何に使おうかなどと考えたでしょう。
 翻って現在の社会状況を考えて見ますと、格差の時代ですから貧困層の割合がぐんと増えました。この層の人々は将来に対する夢を失っていますし、何より毎日食べる事で精一杯なので、お金を宝くじに割く余裕でさえ無いのではないでしょうか。私も統計的にはその層に属するので、宝くじどころではありません。ただ違うのは信仰がある為、「貧」ではあっても「困」ではないという証は出来ます。主から与えられたものを忠実とまでは言えなくても、細かく管理しているからです。
 ところで聖書にも「宝くじ」ならぬただの「くじ」はよく出て来ます。聖書全体で77箇所ほどです。でもそれを使う目的は何かを決断する場合の方法、手段といった感じです。なかなか人間というものは、自分で大きな事を決断出来ませんから、そうしたくじを投じて、結果を神に委ねたのでしょう。それを神は良しとされたのです。
 ですからそれで当たっても、今の世の人々が「幸運だったね」というような事ではありません。
 次の箴言の箇所はくじに対する考え方を簡潔に記しています。
 「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」(箴言16:33)。
 この場合のくじは区別のつく石をひざに投げたという事でしょうが、具体的な事は分かりません。直訳では首をひねる事になるでしょうから、口語訳のように「人はくじをひく」位でよいと思います。でも全能にして全知の主である神は全てをご存知ですから、主ご自身が事を決定されるという意味になります。
 それゆえ事を正しく決められるこの主を知らない人ならば、くじが当たった時、幸運の女神が…と叫び、その誉れを自分に帰するでしょう。自分が何円払って買ったのだからと。