ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

日韓併合についての日・韓教科書の食い違いと聖書の正しい教え

 3月24日の朝日新聞は、日本と韓国の研究者たちの間で、双方の教科書を巡りいまだ深い溝がある事を報じていました。26日の社説にもその事が載っていました。
 共同研究が行われ、激しい論争が行われている事は、これまでの一方的な非難合戦より一歩前進であるのは確かです。
 しかしその内容はどうなのでしょうか。記事には特に当時の朝鮮からの強制連行と従軍慰安婦の問題、そして日韓併合の合法不合法問題もありました。
 そのうちの日韓併合について考えて見ます。
 1910年の事ですから、当然論議した研究者でそれを「目撃した人」は誰もいません。ですから当時のあらゆる資料を駆使しての、あるいはまだ生きておられるお年寄りなどの証言を参考にしての歴史解釈が主体になってきます。解釈は当然その研究者の置かれている立場、思想的な事柄がどうしても反映されますから、絶対にこうだと言えるような公平なものなどあり得ません。朝日の記事には「韓国併合に至るまでの諸条約の合法性には様々な議論がある。併合が非合法であるという韓国学会の主張は、欧米などの国際法学者の多くが支持するには至っていない」というくだりがありました。
 これを見てええー、と思いました。その内容は本当に日本側の学者たちの大部分の意見を集約したものなのでしょうか。もしそうであるなら、何という主張なのだと思いました。「欧米などの国際法学者の多くが支持するには至っていない…」。これは全く「我関せず焉」の態度に過ぎないではないですか。自分はこう解釈するとの主張ではなく、欧米国際法学者の「権威」を利用しているだけです。
 ネットを見ますと、このくだりは2001年ハーヴァード大学アジアセンター主催の国際学術会議の結果を反映させているだけのような気がします。かつて私たちの先輩たちが行って来た事への徹底的な自己検証が薄れているようです。
 「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」(マタイ7:3−5)。
 まず他国への被害を及ぼした自分たちの梁=他者ばかり批判する自己の大きな欠陥=を取り除く事が先決なのに、まるで他人事のように欧米学者の意見をもって良しとする、そのくせ他者のちり=小さな欠点=ばかり声高に唱える、これは法曹界に於ける判例主義と同じでしょう。他者への思いやりの欠けた冷たい法律の響きがします。
 かく言う私はどうなのか。やはり多くの検証が必要でしょうし、良く勉強し自己の欠陥を除去した上で、自分の立場はこうだ、自分はこう考えるという事を打ち出すべきでしょう。
 でも最低限聖書のみことばから、これだけは言えます。即ち「あなたの先祖が立てた昔からの地境を移してはならない」(箴言22:28)。昔から朝鮮半島と日本の間に「地境」が存在していました。これを日韓併合という形で日本が犯したのは間違いがありません。私たちはあくまで聖著の教えに忠実でありたいと考えています。これが絶対公平な神の宣言です。その点虐げられて来た今の韓国でクリスチャンが多く、日本にほとんどいないのは、また別の不幸です。