ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

酒の販売規制問題と聖書の教え

 4月2日の朝日新聞では争論という欄で、酒の販売規制を巡り、賛成派の女性今成さんと、反対派の男性四十万さんがそれぞれ持論を展開していました。
 その酒ですが、私の場合ひどい思いをした経験があります。専門が考古学だったので、調査が終わると夜は酒でどんちゃん騒ぎをしていました。ビールやウイスキー、焼酎など何でも飲まされましたし、自分も好んで飲んでいました。
 ところが日本酒だけは相性が悪く、いつも悪酔いしていました。或る日現場で静岡の先輩から「いじめ」を受け、その苦手な日本酒をどんどん飲まされ、ひどい悪酔いをしてしまい、明け方まで吐き続けた苦い思い出があります。
 その時からなぜか車酔いもするようになり、兄の運転する車では途中でいつも吐いていました。酒アレルギーの影響!
 そうして学校を出た後、母親のケアもあって、近くの工場で働いていましたが、ある日親戚の結婚式があって、終わった後、その親戚の家で日本酒を飲まされ、帰りの電車や駅で吐き続け、家に戻っても夜中まで吐いていました。もう吐くものが無くなったので、静まるかと思ったら、突然黒い液体が出て来ました。何だか血のようでしたが、鮮血ではないので、大丈夫かと勝手に考えてしまいました。
 次の日母親に心配をかけまいと、無理して会社に出ましたが、夕方また吐いてしまい、やっと家に辿りついたものの、生まれて初めて一瞬気絶してしまい、これは大変な事になったと思いました。すぐ病院に行き、血圧測定を受けましたが、全くゼロの状態でした。すぐ手術室に運ばれ、大手術を受けたのですが、出血の箇所が分からず、危うく手術場で死ぬところでした。
 5時間以上の手術で生還したわけですが、原因の箇所は食道の裂傷(マロリー・ワイス氏病)で、手遅れの結果として胃を全摘し、食道と小腸をループで繋ぐ術式となったわけです。
 その時から今日に至るまで、腸閉塞、ビリルビン結石による胆のう炎、大腸のポリープなどの手術を経験、関連する後遺症としての貧血や食後高血糖で今も苦しんでいます。
 輸血によるC型肝炎も発症し、数年は先の見えない絶望の日々でした。それが罪の恐ろしい結果です。
 そうした中、ある日教会の看板を見て、通うようになったわけですが、そこで救いを得てから、不思議と絶望から希望へと変わった次第です。
 上記の記事からそんな事を思い出していました。そして記事を読みました。四十万さんはこの酒を自ら律して「押しつけ」排せと主張しています。その主張はかなり穏当なものですが、現実にはそうはゆきません。聖書のような規制がなければ、いつでも人は押し付けられ、また自己規律を守るなどとは夢物語のようです。大学新入生の一気飲みによる死亡、飲酒運転による死亡事故、アルコール中毒による肝炎など、悲劇が続出です。
 それに対して今成さんは、WHOの指針案を受けて、まっとうな主張をしています。日本では酒に対して、ありえないほど甘い社会です…。実際その通りです。そして何とこの頃は昼下がりに「ママ飲み」といって、お母さんたちが集まり、飲んでいるそうです。でも今成さんでさえ絶対禁止という主張はしておらず、WHOに準じた規制が是非必要と言っているだけです。それは人による規制だから効果がないのです。
 では聖書は何と言っているでしょうか。旧・新約を通して多くの事が言われています。
 「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい」(エペソ5:18)。
 「盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(コリント第一6:10)。
 エペソ書への注解で、英国の高名な説教者であったロイド・ジョンズという人は、こう書いています。「酒に酔うと必ず乱行に至る。常に放蕩に、不品行に、みだらな生活に、そして破滅に至る。つまり、それは、常に不経済である。常に浪費になる」。
 結局聖書のみことばを通して御霊が働き、御霊はキリストを示し、心砕かれてその御名を信じた者が神と和解し、新しいいのちへと移されます。そうなって初めて人は酒に酔う事の罪を自覚し、常に聖書を紐解く事で規制がかかり、そんなちっぽけな事ではなく、御霊によって広大な真理のみことばに満たされ、喜び溢れた積極的な生活を送る事が出来るようになります。
 繰り返しますが、虫、塵に過ぎない人の規制は効果がなく、ただ神のみことばによる規制だけが、人を酒から解放し、その時から神を中心とした霊的に有意義な人生を送る事が出来るのです。